不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

能を観た

日曜日は多少風邪で具合がよろしくないところを押して渋谷まで行ってきました。渋谷なんて何年ぶりだろうか。

行き先は観世能楽堂。昨日は能や舞囃子、連吟などの愛好者たちが発表する発表会でした。

もちろん渋谷の観世能楽堂に行くのは初めてです。能も見たことがあるのは多分今まで2.3回ぐらいでしょうか。

今は便利なもので、東武線から1本で渋谷まで行けます。車中はずっと寝てました。

駅に着いてからなるべく能楽堂に近い出口から出て歩き。当日は私も作務衣に羽織りといういでたちでしたが、渋谷の若者のファッションセンスも埼玉辺りとは訳が違う(苦笑)。まさに都心です。

少し路地が細くなったりしましたが、無事に到着。最後の曲がり角に統一教会の事務所があったのが引きました(笑)。

和装をしていた人は少なく、そして私と同じぐらいの年齢の人も少なく、そういう意味で目立ちました。無料ですからたぶんそうだと思いました。

すでに9時を回っており、すぐに中に入ることができました。

中は空き空き。前から2列目の正面向かって右端の席に座りました。中には檜舞台が設えてあり、正面と横に席が用意されています。言うまでも正面が良いのですが、ある意味横から見ても面白いかも知れません。

私が来た目的はその日は妻が通っている裏千家のお茶の先生がこれに出るということで来ました。妻は用事があって来られなかったのですが、お茶の先生がどのくらいの力量か観る、良い機会だと思った次第。数回面識がありますから、舞台に出たら多分相手は私が分かるでしょう。

脇能物の養老というお題。かの養老の滝の話しです。

タイトルから言うとほのぼのとした親孝行のお話ですが、なかなか華麗な舞がある動きだったりして驚かされましたが、そもそもこのお話は第21代雄略天皇がヤマト王朝の威光を辺境にももたらそうと言うことで役人や軍隊を地方の辺境にまで推し進めていった過程で出来た話だと言われています。原作は肉食系の話しですかね(苦笑)。そういえば埼玉古墳の鉄剣にも雄略天皇の名が記されてますから、はるばる当時はド田舎の関東にまで使節を送るとは大変な意気込みが伺えます。

妻の先生、なかなかうまかった。

足捌きは前の方々よりも格段にうまかった。さすがに茶道で先生をしているだけあるなと言った感じ。そして腕の動き。これまた素晴らしい。他の方が機械の如く腕のみを動かしていたのに、先生は腕の動きで体全体の動きを表現できるほど生き生きと動いていた。体で腕を動かしていたような感じ。そして声。良く響いていました。腹から声が出ていましたね。舞台に上がってから私とちょっと目が合ったので分かったと思いますが、やりにくかったろうな(苦笑)。一応あちらは私が何者かご存じのようです。私も身じろぎ一つしないで観てましたから。また何せ美人ですから(笑)観ていても飽きません。有難いことです。

結局4時間近く鑑賞してから帰路に就きました。午後から坐禅会があったのですが、ギリギリだったし今ひとつ具合が良くなかったので。

帰宅してから妻に上記の感想を述べると、茶道でも足捌き15年とか言われ、手の動き一つひとつが体の動きがどうのとか言っていました。それなりに芸事をしている人の言葉というのは同じなのです。こんなのは常識ですけどね。

伝統芸能の動き、プロの職人の動きというのはいつも武芸の参考になります。いつも息を詰めて観察することしばしばです。また、指一本動かすにもそれあることを心に留めます。それができるかどうかで門外の精進の進み具合が変わるというものです。私の思うところですが。

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平成二十六年神無月二十日

不動庵 碧洲齋