不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

口に上るまでの尊さ

西遊記でもおなじみの三蔵法師こと玄奘三蔵は27歳の時にインドへ仏教を学びに行こうと志し、往復16年というとんでもない長旅を終えて帰国しました。その時43歳。その後、寺院に籠り持ち帰ってきた経典の漢訳に生涯を費やし、その16年後、「般若心経」の大元となった「大般若経」の訳出を終えて100日後に遂に他界したという、ものすごい方です。戦時中、偶然日本が玄奘三蔵の墓を発見して、分骨してもらい、その骨は今私の住む埼玉県の寺に安置されています。
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玄奘三蔵法師 玄奘が帰国して8年後、日本から道昭という24歳の若い僧侶がやってきました。どういう訳か、玄奘はことのほかこの道昭が気に入り、同じ部屋で修行をしたり、翻訳の仕事をしたと言います。 7年後、道昭が帰国するに辺り、玄奘は言いました。 「経論は奥深く微妙で、究めつくすことは難しい。それよりお前は禅を学んで、東の国の日本に広めるのがよかろう」 道昭は帰国してから持ち帰った数々の経典や書物とは別に、禅による修行を守ったと言うことです。
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道昭 私は時々、息子にお経の尊さを教えることがあります。 「私が毎朝唱える般若心経はとても尊いものなんだ。三蔵法師が16年もかけて遠いインドまで行って勉強して持ち帰り、それを翻訳し、今度は日本人の僧侶が命がけで海を渡りその三蔵法師に付いて教えを受け、それから1000何百年、絶えることなく私たちまで続いている。どこかで誰かが命がけで守ってきたお経だ。今は意味が分からなくても、そうするだけの価値がある何かがあると言うことを忘れないでくれ。」 こういうことを何度も言います。 毎朝の読経の折にはいつも、この事実を肝に銘じます。そして私は今、ありがたいことにまさに玄奘が勧めていた禅をしています。この禅の修行にしてもこの今の形になるまでどれほどの人が関わり命を賭けてきたのか。 科学でも宗教でも同じ事ですが、自分たちの口に上るまで、どれほどの時間と苦労を経てきたのか、いつも心に染み込ませるようにしています。 息子にも時を経て未だそこにあるものが区別なく尊いことは理解しているようです。息子は今朝食べたご飯の米粒の一つ一つにも、大宇宙にも全く同じ仏があることは理解してますが、仏前で唱える言葉には更に尊いものであることは身を以て理解しています。 あらゆるもの、あらゆる人は全て仏縁で繋がり、因縁があるということを息子はどれほど深められるのか。多分死ぬまでには私よりずっと深く感じられると思いますが、そういう人間がたくさん増えれば、世の中のくだらない争い事も減るのではないかと、いつも思います。 平成二十六年如月十七日 不動庵 碧洲齋