不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

なにもないところに、ある

禅を少しやっている方ならご存じだと思いますが、臨済宗中興の祖として知られている方が白隠慧鶴禅師です。白隠禅師以前にどのように臨済禅が衰退していたのか分かりませんが、白隠禅師のおかげで現在の臨済黄檗禅があるといっても過言ではなさそうです。

白隠禅師の師が正受老人こと、道鏡慧端です。この正受老人は最初は立派な藩士でしたが、強く仏教に帰依するようになり、江戸詰の間に出家してしまったツワモノです。若い頃の白隠禅師を殴り飛ばしたり、坂に蹴落としたりと、逸話が絶えませんが、正受老人が住職していた正受庵は今でも立派に整備されています。

そして若い頃の侍だった道鏡慧端を出家させてしまったのが至道無難禅師です。この方は驚くことに47歳で印可を受け、出家をしたのは52歳の時。「え?」と思われるかも知れません。順序が逆ですよね? この無難禅師、関ヶ原の戦いの3年後に関ヶ原で宿屋の息子として生まれ、17歳ぐらいの時、たまたま江戸を往復していた妙心寺第十四世住持、愚堂東寔老師の目に止まり、在家のまま弟子となって公案を授けられました。そして愚堂老師が通る度に参禅し、47歳で印可を受け、江戸に行ってから52歳で出家したという、異色の禅僧です。

私のような普通の在家には白隠さんよりも正受老人、正受老人よりも無難禅師に興味が湧きます。さすがに在家であった時期が長かっただけあって、語録として残された言葉は非常に分かりやすい。全く以て在家のためだけに書かれたような言葉です。

想いが人を神にも鬼にもします。不安にしたり幸福にするのも心一つです。1億円を得ても”損をした”と愚痴を言う人がいたかと思えば、路傍の花を差し出されただけで宇宙一杯の幸せに浸れる人もいる。やはり心だと思うのです。

禅では心を空しゅうする、とか「無」とか言われますが、これまたなかなか分かりにくい。

そこで至道無難禅師が残した言葉からなにがしかのヒントが掴めればと思います。

「念のふかきは畜生、念のうすきは人、念のなきは仏」

「何もおもわぬは、仏のけいこなり」

「なにもおもわぬ物から、なにもかもするがよし」

「身によき事をこのまんより、身を思わねばやすし」

「人の死をしりてわが死をしらず」

「主ありて見聞覚知する人は、いきちくしょうと是をいふなり」

「主なくて見聞覚知する人を、いき仏とは是をいふなり」

「ころせころせ我身をころせころしはてて、何もなき時人の師となれ」

「いきながら死人となりてなりはてて、おもひのままにするわざぞよき」

「迷いてはこの身に使われ、悟りてはこの身を使う」

「修行する人、身の悪を去るうちは苦しけれども、去りつくして仏になりて後は、何事も苦しみなし。また慈悲も同じ事なり。慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟するとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり」

「ひたすらに身は死にはてていき残る、ものをほとけと名はつけにけり」

何をするにしても自分を計算に入れたり、自分を勘定に入れた物事の進め方をしなければ、本当にうまく行く。私は最近よく思います。私的にはまだまだ我利我利しているような部分もありますが、ともあれコイツをいかにするかというのが命題です。

なかなか難しい事ではありますが、無難禅師の言葉は多分ちょっと気に留めておくに値する言葉ではないでしょうか。私も憂鬱なときや、落ち込んだときなどはこういう歴代の禅師たちの言葉を噛みしめるようにしています。

平成二十六年如月十二日

不動庵 碧洲齋