最近、息子は理科がつまらないとよく言います。
宇宙飛行士を目指している割には情けないなと思い、その理由を聞いてみると・・・
「だってさぁ、みんな教科書に書いてあることだけで納得するんだもん。よくあんな内容だけで納得するよね?信じられないよ。」
例えば教科書に水蒸気の事が書かれています。
水蒸気は一体どういうものなのか、確かに教科書を読んでみるとハッキリしません。
水蒸気は冷たいものに接すると、水滴になり、例えば冷たい水が入ったコップの側面に水滴になるとあります。
何故、冷たいものに接すると水滴になるのか。
何故、冷やされるとそうなるのか。
どうして水は0度だと凍って100度では水蒸気になるのか。
教科書には確かに何の答えも書いてありません。
仕方ないのでネットで色々調べると、意外にもわかりやすく書いてあるページがありません。
息子は温度によって空気の分子と水の分子の運動が変化して、水の分子が空気の分子にくっつきやすくなるのではないかと思っています。
でもまだ謎は深まります。ではどうして分子運動は温度で変化するのか、とか。
原子、もしかしたら電子の運動が何か関係しているのかも知れないとつぶやいていました。
ここまで来ると私も分かりません。
昨日は毎日の自主学習のために、上記について、小学校レベルの知識に置き換えてまとめ上げました。それでも大したものです。
私は息子が宇宙に興味を持っている、宇宙飛行士になりたいというので、それに関連したことはなるべく息子にフィードバックしています。
同時に禅仏教を初めとする哲学的命題にも徹底的に付き合います。
もう6年以上でしょうか、人は何故生まれるのか、どうして死ぬのか、死んだらどこに行くのか、仏はどこにいるのか、どうして幸せな人と不幸せな人がいるのか、そんなことをずっと話し合ってきました。私も少しばかり禅をかじっていますが、もちろん、実感としてまだまだ届いていません。知識的にほんの少し、ぼんやり見えてきただけです。
今でもよく覚えているのが、4歳の息子がニコニコしながら「なんでジイジ死んじゃったの?」といつもいつも、しつこいくらいに尋ねてきたことです。多分、この命題が私を本格的に禅を始めさせたのだと思います。その問いは今でも私の公案です。
息子は思春期前の純真さで、それが分かっている部分もありますが、これからどんどん大人になって、一旦仏に近いところから離れなければならないこともよく理解しているところに驚かされます。子供のままの感性で仏に接していたいと思っている反面、大人になってこそ、それが分かるものだとも理解しているようです。
前に息子が言っていました。
「もし科学で宇宙のことが分からなかったら、仏で宇宙を分かるようにしてみるよ」
簡単に言うと宇宙飛行士になれなかったら、禅僧になるのもやぶさかではないという事です。どこまで本気か分かりませんが、息子の仏教に対する帰依心は尋常ならぬものがあります。
子供が何か知ろうとする気持ちや行動を持っていたら、親は必ずサポートすべきだと思います。もちろん子供が主役です。
ただ勉強が出来る、運動が出来る、よくものを知っている、そういう子供を目指しているわけではないのです。実際私は息子に勉強しろとか言いません。息子はガリ勉でもありません。よく外で遊びます。私ともよく話します。うまく言えませんが、勉強や運動ができる、良い性格であるというのは、私が求めているもののほんの副作用でしかないのです。より深くより広く知ろうと試み、それをより高貴に実践しようと心掛けるような子を育てていきたいと思っています。
平成二十六年如月十三日
不動庵 碧洲齋