不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

死が近くなる

私が本格的に禅を志そうと今通っている禅寺の門を叩いたのが2007年秋。最近気付いたのですが、その前年末に師の師が遷化されました。自分の師匠が他界して1年後に私が訪ねたことになります。それから6年、いつの間にか古参になってしまいましたが、それは暦だけのこと。未だ門前の小僧に過ぎません。

最近では自分が子供の頃見ていたアニメの声優さんたちが何人も連続して亡くなっていますが、自分の師匠たちもまた、当然ながら事故でもない限りは自分よりも先に他界していきます。人生半ばを過ぎて、死がどんどん近づいてくることを日々実感しています。

付き合いの長い師匠格の方がなくなった経験は今のところたった一度あります。木刀作りの名人で16年以上の付き合いがありました。師事して何か教えてもらったわけではありませんが、私にとっては師匠でした。未だにその方が作った木刀以上に優れたものを見たことがありません。未だその方が作った木刀だけを使っています。拘ってはいけないのでしょうが、一番手になじみます。訃報に接したときは文字通り目の前が真っ暗になりました。

武芸や禅の師が亡くなったときはどんな気持ちになるのか、想像しただけで泣きそうになります。そういうのは多分、悟ろうと賢くなろうと関係ないものだと思います。

自分のような人間が何人もの素晴らしい師に出逢えることは、まさに天恵神与の成せる業ですが、我自身を虚空にして時を惜しんで師匠から出来るだけたくさんのことを学ばねば意味が無いと思います。

私の場合は30代半ばまで真理があることにすら気付かないという暗愚さでしたが、それでも何かあると気付いて禅を始められ、そしてそれが今に至って継続しています。多分死ぬまで続きそうな気がします。それが出来るのも優れた師匠たちのおかげです。更に付け加えるなら禅をするに当り、これまた自分には遥かに過ぎた禅友たちにも支えられています。これは毎日、何度も確認して感謝する次第です。

平成二十六年睦月三十日

不動庵 碧洲齋