不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

国連南スーダン共和国ミッション

これは留学時代に体験したことです。

私は丁度、B-29完成50周年記念の日にシアトル郊外のボーイング博物館に居合わせました。

その日は元搭乗者とその家族だけだったのですが、時間の都合でその日しかなく、受付に掛け合ったところ、快く入場OKが出ました。パスポートを見せても受付の方は嫌な顔一つ見せずに入場バッジをくれました。

そこには往事の軍用機が並んでいました。米国爆撃機で言うとB-17, B-24, B-25, B-26, B-29。米国戦闘機はF4F, F6F, F4U, F8F, P-38, P-39, P-40, P-47, P-51。英国の軍用機ではスピットファイア、ホーカーハリケーン、ドイツのメッサーシュミットbf109、日本の零戦もありました。私が見た限り本当にレストアした21型だったと思います。

その後、それらのほとんどの軍用機は本当に飛行しました。B-29ゼロ戦の模擬空戦もありました。今でもよく脳裏に焼き付いています。こういう機体がまとめて飛んだところを見た日本人はそう多くないと思います。軍用機が好きだったので、これはもう驚喜せんばかりに走り回りました。B-29はあっちこっち触りまくりました。

ホットドッグスタンドで一休みしていたところ、一人の老人と仲良くなりました。彼は私が日本人であることに驚いていました。(当日は招待者オンリーだったので)

彼は若かりし頃、B-17の機関士として、太平洋戦線で戦ったそうです。

志願兵として親友と二人、訓練学校から実戦配備まで一緒だったそうです。同じ機に搭乗して本人は4基のエンジンを制御する機関士、友人は彼から一番近いところの機関銃手でした。

何度か爆撃作戦に参加して、2回ほどゼロ戦の迎撃に遭ったそうです。一度目は爆撃後だったため、あちこち穴だらけになりながら、命からがら逃げ延びたとか。指揮官機や僚機は落とされたそうです。

その次は爆撃前にやはりゼロ戦の襲撃に遭い、爆弾を棄てて回避運動をしたのですが、エンジンが1基やられ、1基も不調になりかかって、機体も穴だらけ、火災も起きていました。それでもなんとか基地までたどり着いたのですが、彼の背後で射撃をしていたはずの友人は胸を撃たれて死んでいたそうです。彼はエンジンの調整に必死で着陸後まで気付かなかったそうです。彼は淡々と語っていました。

私はその時初めて、日本軍によって攻撃された兵士と話を交しました。

戦争中は日本人をどう思っていたか、という問いには彼は素直に日本人は極めて優れた国民だと思っていたそうです。当時としては一流とは思われていない国家でしたが、とんでもなく高性能な軍艦や戦闘機を製造し運用し、現に当時空の要塞と言わしめたB-17ですら落とされていたのが何よりの証拠だったそうです。大局は勝ってはいましたが、最後まで恐怖心はなくならなかったそうです。日本人の悪口を言うのは自分の恐怖を隠すためか、弾がまったく飛んでこないところにいる人たちの戯れ言だと言っていました。

戦争が終わって暫くして、どうして戦争なんかしてしまったのか、どうしてみんなが戦争の方に傾いてしまったのか、慚愧の念に堪えなかったそうです。最初に仕掛けたのは日本だったとしても、日本の大都市を爆撃したり核兵器を使用したりと、かなり多くの兵士たちは恐れるものがあったそうです。

それだけに子供たち、孫たち(丁度孫は私と同じ年頃だったそうです)には決して戦争などしないよう、言ってきたそうです。

私が人目を憚らず泣いたのは、ほとんどこのときぐらいではなかったでしょうか。本当に衝撃的でした。また、もし彼の爆撃で祖父が殺されたとしても、私は彼を恨む気がしません。

戦場の人たちは結構淡々としています。

私は門下の外国人で軍人の同門と何人も会っています。

その場の現実を静かに見つめています。

その老人も親友が殺されても日本人が憎いとかそういう気持ちにはならなかったそうです。

やることをやり、戦後は戦争が怖いと思ったそうです。特に家族を持ってから。

要らぬ尾ひれを付けるのは決まって政治家や戦場から遠く離れて人たち。

戦場の人たちの気持ちをどれだけ汲んでいるのやら、だそうです。

南スーダンの話しです。

陸上自衛隊は現在400人程度を派遣しています。

韓国陸軍は医療関係でしたか、300人弱を派遣していると聞いています。

国連平和維持軍全体で5000人程度のようです。

ところがここに来て、南スーダンの情勢が急激に悪化してきました。

それで自分たちと民間人を守るのは難しくなってきました。現地の情勢に対しては割愛します。

自衛隊は現地国連軍総司令部に従う義務があります。

自衛隊は国連軍に所属する各国部隊を支援する義務もあります。

どこの国であろうと関係ありません。

現地の自衛隊司令部は韓国軍だから弾丸を貸すことに渋ったのでしょうか?たぶん、僚軍を早く助けたかった、民間人を安全に保護したかった、それありきだと思うのです。それが本来あるべき軍人だと思うのです。

日本政府にはもしかしたら別の思惑があったかも知れません。よく考えるとこの決定はかなりキワドイ決定だと思います。しかし私は現地の指揮官が必死に訴えたのではなかろうかと思います。だから帰国後に色々突っ込まれてもきっと、事実は言うとは思いますが、韓国軍の名誉を貶めるようなことは言わないと思います。

勝手な想像ですが、現地の韓国軍の兵士たちは自衛隊に感謝したと思います。もちろん、彼らは帰国後にそういうことは言わせないように言論統制、箝口令が敷かれるかもしれません。韓国では言論の自由がありません。日本にはあります。

日本では「それ見たことか」「貸しを作ってやった」「ざまあみろ」「貸すべからず」のような論調が多くあるようです。(私は最近下品すぎるYahoo以下のコメントは見ないようにしてますので、推論ですが)

戦地を離れた、そして最後の戦争から70年近く経った国ではなんともまあ平和で呑気でくだらない議論が為されていることか。戦場で友軍が窮地にあるのを見過ごすのは軍隊ではありません。それは軍隊でなくとも人間としても最低です。我らが誇る自衛隊は装備だけがいいわけではありません。私たち日本人の価値観も背負っています。先にバカになったり根性がひん曲がっていくのは自衛官ではなくて国民だと思うこともあります。

中国には呉越同舟という言葉がありますが、戦場での繋がりはそれよりは深い気がします。ましてや今回は南スーダンの民衆を守るためです。それを無視して韓国軍に弾丸を供給することに対して揶揄する愚かさは見るに堪えないものがあります。

私は韓国政府や一部の韓国国民の品のない言動にはもちろん反感を覚えますし、支持しません。かなり腹が立ちます。それでもこういうことに対しては大局的、理性的、長期的に俯瞰したいものです。私には世界中に友人がいて、日々交流があり、それ故に世界から敬意を持たれる日本人でありたいからです。また少々うがち過ぎかも知れませんが、そういう考えこそ、天皇陛下が国民に求めている事ではないかとも思います。

猛り狂って愛国の情を叫ぶよりも、粛々と日本のためになることを行動に移して身を慎む。これが日本人のあるべき美徳ではないかと思うのです。日本の文化は下品なこと、派手なこと、強く主張することを大変嫌います。和の国だからです。私はそう信じています。それが正しいかどうか分かりませんが、国民性として日本より優れた国が世界に一体どれほどあるのか?そう考えれば答えは明白ではないでしょうか。

それに比べたら彼らが日本に感謝するとかしないとか言うことは実に些末なことでしかないのです。

どう考えても多くの人に害のある悪に対しては完全と立ち向かいながらも、上記のように努めることが、日本人としての徳を養うことではないかと思う次第です。

平成二十五年師走二十五日

不動庵 碧洲齋