私は息子とよく風呂に入るのですが、その中では色々な話をします。くだらないことから高尚なものまで様々です。
風呂というところはリラックスでき、しかも血流がよくなるからなのか、なかなか深い話ができるように感じます。
昨夜は学業について語りました。
小学校6年間、中学校3年間、高校3年間、大学4年間、大学院2年間。トータル18年間。
何故そんな話になったのかというと風呂に入る前に過去のJAXAの宇宙飛行士応募条件を息子と見たからです。
大学卒業で3年以上の社会経験(専攻分野での仕事)もあるのですが、修士はそれを1年分、博士号はそれの3年分と見なすと言うことで、博士号をとれば即、応募資格があると言うことになります。しかしながら息子はなかなか手堅く、社会経験を積んで、人とのコミュニケーション能力を養わないと、宇宙空間でのチームワークが作れないと言っていました。JAXAからのメールをよく読んで、理解しているためです。そういうものの見方もできることは本当に素晴らしいと思います。
それにしても宇宙飛行士の応募要項をネットで見られると言うことは息子にとっては最大級の関心事であり、それを見たときは文字通り液晶に食いつくかのように眺めていました。
学校では学問以上のことを教えてくれる先生を見出すことができたなら、それはたぶん生涯の宝物になると話しました。学校の中ではなく、人生に於いての師を見つけ、教えを請うことができたならお前の人生はより豊かなものになると言いました。
息子にとって私は素晴らしい師匠に囲まれた、運がいい父親のように映っているようなのですが、もちろんそれは違う。(いや運はいいですが)
前にもブログにも書きましたが、自分の志以上の師匠は決して現れることがない。自分が目指す高みに見合う師匠しか現れない。
宇宙飛行士にでもなりたいなぁ、と思えばもしかしたらそういう程度のことを教えてくれる人は多いかも知れないが、何が何でも宇宙飛行士になるんだと大決断をして、努力をしているとき、神様はきっと素晴らしい指導役の人を遣わしてくれるに違いない、と言いました。
学問を教える先生は多い。給料程度のことをしている人は少ないはずがない。
しかし学問で、人生を語ることができる先生はものすごく少ない。18年間の間には会えないかも知れないが、本当に精進している人はどんな人からでも何からでも学ぶことができる、それがたまたま一人の人なのかどうなのかという違いに過ぎない、そう教えました。
もっとも息子は自分の周囲を見渡して、既に高い志を持った人の師がどのようなものであるべきなのか、はっきりと捉えているようです。そういう意味では本人が見誤ることはないと私は信じています。
私は息子が社会に出るまでに、希有な師と出会えることを心底祈っています。その人を通じて、目指していることが一体どういうことなのか、私などよりずっとよく分かってくると思います。
宇宙飛行士になる倍率や艱難の高さに時々、息子は弱気な発言をしますが、目を輝かせている息子が好きなのでその為には努力は惜しみませんが、たぶん私ができることはよい師が見つかるまで、軌道に乗るまで、そんなところではないかと思います。
いずれにしても高い志を持ち続け、人として弛まぬ精進を続けていくことは重要であり、そういう意味では私も息子も同じ同志だと思っています。
・・・昨日の息子の通信簿を見ると、私の方がかなり負けてますな(笑)。
平成二十五年師走二十五日
不動庵 碧洲齋