昨日は露国武友と早朝坐禅会に参加した後、当初の予定を変えて茨城県鹿嶋市の鹿嶋神宮への参拝に行きました。
武芸者であれば一度は行ってみたいと思うところだと思います。私は既に4.5回ほど行ったことがあります。
天気はあいにくの曇天、まずは雨が降らなかったことに感謝という程度。
道中は色々な話をしました。
よく利用する参道脇の駐車場に車を止めると、管理人のおじさんが「演武大会はもう始まっているよ」とのこと。今回私は静かな鹿嶋神宮を期待していたのですが、偶然にも演武大会がある日に来てしまったようです。
まあ、友人にはその方が良かったのだと思いますが。
あいにくすでに1/3が終わってしまっていましたが、まだあと20流派分もあるという程だったため、どちらからいうともなく立ち見で見物。天気が悪かったせいかそれほど人は多くなく、結構いい位置で見ることができました。
さすがに鹿嶋神宮だけあって、そうそうたる流派が集結しています。
今回、目を引いたのは「琉球王家秘伝本部御殿手(りゅうきゅうおうけひでんもとぶうどぅんでい)」。
新年に行われる日本武道館での演武では数度、目にしたことがありましたが、至近距離で拝見したのは初めてでした。
初めて見たのは日本武道館で、先代宗家の演武でした。多分、今から10年以上のことでした。
初めて見た時は華麗な動きというか歩きながらの技に、少々胡散臭いものを感じたというのが本音です。(すみません)ヤラセっぽいような、予定調和のような感じでした。しかし5.6年前に改めてそれを観たときに「おや」という感じを受けました。
宗家の拍と間合い、何より当流と同じく歩きながらの技というものに共感を受け、ピンと来るものがありました。
以後、数回見てきましたが、あの琉球ならではの独特な間合いと拍はやはり秀逸ではないかと思います。
特に1対多数の技が多くあるこの流儀、学ぶべき点がとても多いと感じたものです。
歩きながらの技というのはある意味人の体にとっては自然の動きを起こしやすい。
そういうことを思い起こさせてくれた流派として、いつも注目しています。
今回、非常に感銘を受けたのは琉球王家秘伝本部御殿手で体術を行った方でした。
決して神速という程には速くはないのに恐ろしく自然の動きでしかも相手の死角を狙って動いている。
また力みもない。今回の演武者の中で一番自然な動きだった気がします。
体捌き、腕遣い、投げどれも無理がなく、たぶん受けにはほとんどよく見えない角度からの攻撃ではなかったかと思います。
久しぶりに「ウ~ム」と唸ってしまいました。
それとその次に目を見張ったのは大東流合気柔術の方で、たぶん葛飾区支部長さん?と思われる方。
日本の柔体術というと、比較的ガツリという感じが多いのですが、この方の技のキレは非常に素晴らしかった。
大東流では毎回、どこかの支部長さんクラスが出るのでしょうか。今回はいつも以上に印象に残りました。
最後の大取はいつもながら香取神道流。
剣捌きには皆息を呑みます。腕と刀が一体化し、不自然さがなく、しかもブレがない。
どんな振り方でも素晴らしく流麗。そしてその気迫。たまたま最初の型の時に今回一番上の師範の方と顔を合わせる位置に立っていましたが、本気で怖いほどの気迫でした。
いうまでもなく薙刀の捌き。美しいです。私も香取の薙刀を持っていますが、あの重たいものをあそこまで華麗に遣いこなせるのはやはり日頃の厳しい修練の賜でしょう。
若い頃にもそっと他流についても研究をしておけばと思いました。
それでも20代30代には他流武友と結構交流があったのですが、最近はあまりなく。
その後、境内を散策。
いつもながら鹿嶋の社杜の素晴らしさには圧巻です。
演武中も奥宮に続く参道から吹いてくる風に乗った、木の香りの芳しいこと。
体中の悪いものが消滅するような感じでした。
奥宮に続く参道と社杜
奥宮と要石を見て回りました。屋根に苔が生えているのがいい。
要石は直径15-20センチぐらいの、中央がくぼんだ何でもなさそうな平たい石ですが、水戸黄門が1週間掘り続けても下が見えなかったと言うぐらいだから、相当巨大な岩なのでしょう。微妙に普通の岩とは異なる雰囲気を醸し出しています。
奥宮
入口に戻ってから博物館に。色々な武器がありますが、圧巻なのは巨大な太刀。6尺ぐらいあったかと思います。名古屋の熱田神宮にもありますが、この鹿嶋の太刀はなんと奉納されたのが奈良時代。今から1300年ぐらい前のことです。にわかに信じがたいですが、日本のテクノロジーの一端を知る事ができる一品です。
15時近くでやっと昼食。山菜そばを食べましたが、やや大盛りで1000円って高くない?(苦笑)
露国武友は非常にうまいと言っていました。
ちと分かりにくかったが、行くところまで行くと看板が出ているのでわかりやすい。
墓所は小さな墓地の高くなった、山というか丘の中腹。
非常に見晴らしがよろしかった。
神仏は尊し、されど拝まず。なんて言った人もいますが、そういうわけにもいかず、私も普通に「立派な武芸者になれますように」などとありきたりで都合の良すぎるお願いをしてしまいました。(笑)
降りたところに小さな墓地があり、驚いたことに今でも「塚原家」があるようで、最近作り直されたのか、なかなか立派な墓でした。この墓地は塚原家とその家臣とかかな?案内板もたぶんNHKドラマの前後に作られたようで真新しかった。
NHKでドラマが放送される少し前ぐらいから、塚原卜伝にはとても関心がありました。
明治以降に歴史から掘り返されて有名になってきた「自称有名な武道家」と異なり、彼の場合は存命中から有名でした。そして武芸者でありながら、また、戦国時代の始まり頃でありながら、その平和的思想は今でも十分に納得できる考えです。
帰路はさすがに疲れたのか、友人はうつらうつらしていましたが、私は思いにふけりながらの運転。いつものことですが。
19時少し前に家に着きました。
平成二十五年神無月七日
不動庵 碧洲齋