不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

ちょっと稽古をした

昨日は大多喜城祭りの疲れを癒す間もなく、露国武友とマンツーマンで稽古をしました。

今週は師が膝の手術のために稽古に来られず、同門先輩の代理稽古の回数も限りがあるため、彼の立っての願いで稽古をすることになりました。場所は草加市の総合体育館で19時から2時間。たまたま空いていたため、心置きなく稽古ができました。

この歳になるとなかなか集中できる稽古時間というものが取れません。後輩に手ほどきをしたり、精度を上げる稽古が多くなり、思うようにできないというのが実情です。ということで自分の為の稽古を兼ねて昨夜、露国同門と行いました。

稽古した技自体はたぶん3つほどだったと思いますが、基本に加えて当て身をしたり、変化を付けたり。左右両方、自在に掛けたり。私的にはよく集中してちょっと汗をかいた、という程度でしたが、露国武友はかなりヘロヘロで、休み休みやってはいたのですが、集中力が途切れ気味、最後の10分は足がもつれて倒れそうなほどに疲労困憊の様子でした。(笑)実は昨日は彼を地獄まで連れて行くぐらいのつもりでしたが、どうやら地獄の入口ぐらいが限界だったようです。惜しい・・・。

稽古自体はそんなにきつかったとは思いません。2.3回ずつ互いに技を掛け合いますが、休みなし。慣れてきたら左右自在に、その上で当て身を入れたりします。受けの攻撃は容赦をしません。入れ替わって攻撃する側になると、考える隙も与えずにすぐさま相手の拍子を外して一番嫌な間合いと角度から、気合いを込めて渾身の一撃(笑)!もちろんスピードは落としますが、当ったらそれなりに怪我はします。私の突きは打撃系のとはかなり違うため、下手なよけ方、ちょっとぐらいの間合いで避けても「ちょっと当った」では済みません。だからよける方も必死になると言うことです。

これを避けたり技を掛けたりするうちに心身がすり減るのだと思います。というかそうしています。・・・そしてクタクタ、ヘロヘロになってからが本領発揮です(爆)。ある程度の力量を持っている者ならそういう状態でこそ力の抜けきった状態になり、最低限の動作や力で最大限の効果を生みます。考えるという活動も低下するので本能のままに動きます。神経がすり減る原因の多くは余計な思考、読み過ぎで精神的に参ってしまうことが多いものです。稽古中何度も「ホラ、また心が頭にいっている!」と言いました。今回、稽古中はずっと、心は丹田に、と申し渡してありましたが、心がスッと丹田に落ちているときはまずまずの動きでした。さすがに元々なかなかの腕前を持つ友人なので、そのような状態ではそこそこの動きができました。

私も久しぶりに根詰めて休み無く技を繰り出しましたが、最小限の動作、呼吸で最大限の効果を狙うことができるようになってきたのか、思ったよりも疲れず、2時間ぶっ続けでも動けそうでした。これはスタミナの問題ではなく、テンションを張りすぎず、自然の状態を保ちながら動けたためだと思っています。体幹運動と呼吸、体裁き、足裁き、間合い、拍子、どれもまずまず研ぎ澄ますことができたような気がします。

正直言うともっと休み無くやりたかったのですが、休まないと同門が倒れてしまいそうだったため。最後の10分は彼は足がもつれかけていたので少々やばかった。

また、稽古中、どうしても私の動きが見えないと泣き言を言ってきたので秘訣も教えました。(全然秘訣じゃないですけど)脳はオーバーロードを防ぐために普通の早さ、普通の動きには注意を払いにくくなっていて、異常に速い速度、異常な動作をする物体にのみ、無意識にフォーカスするようになっている。だから、めいいっぱいの普通の早さで、ギリギリ正常範囲の動作をすると、普通の注意力ではなかなか捉えにくくなる、というようなことを教えました。これは宗家や何人かの師範たちもしています。また強く掴んだり筋力による制圧は相手に情報や感覚を伝えかねず、なるべくそれをせずに技を掛けることを心掛けるようにとアドバイスしたのですが、私を含めてそれは楽なことではありません。「見えない動き」は非常に精緻な動きに成り立っていると、最近理解し始めました。

自分の技の精度を高めるにはなかなかよい稽古でした。彼の滞在中にまた一緒に稽古したいと思います。久しぶりに武芸関係のことを書いた気がする(笑)。

平成二五年神無月朔日

不動庵 碧洲齋