不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

房総半島仏閣巡礼の旅

昨日は海外の友人2人を連れて房総半島仏閣巡礼の旅に出ました。 豪州から禅の修行のために来日中の磨周殿。私が坐禅で通っている寺に滞在中。 露国から禅と武芸の修行のために来日中の御礼倶殿、柏に滞在中。 三連休と言うこともあり早朝にもかかわらず高速は混んでいる気配がしたものの、意外に天気も良く意気揚々と出発。 車中では日本語や英語で武道や禅、歴史、比較文化や国際関係について深く話す。 館山道の終わったところにある真言宗船形山大福寺に到着。名前は美味しそうですが、別名崖観音、文字通り崖の中腹にお堂があるお寺です。山号のようにその昔行基様が大漁と猟師の安全を祈願して崖中腹の岩に十一面観音を彫ったのが始まりと言われています。東京湾と太平洋が見渡せる非常に素晴らしい眺め。友人らもしばらく海風に当りながら感銘を受けていた模様。特に御礼倶殿は生まれて初めて見る太平洋、なかなか感動したのではないかと思います。
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その後、国道127号線を北上して曹洞宗鋸山日本寺に。 鋸山全体が境内になっていて、あまり知られていないものの、日本で一番大きい石仏、彫ってある観音でも日本一大きい崖に彫られた百尺観音(どちらも30メートル程度)を始め、鋸山の岩肌に無数に安置されている石像や石仏などは圧巻です。もちろん山頂からの眺めも素晴らしく、国内外の観光客で賑わっていました。特に百尺観音は昔の石切場跡に作られているので、雰囲気が日本と言うよりはガンダーラ地方にあるような崖に彫られた石仏のようで、初めて来た方は大抵感嘆の声を上げていました。海外の観光客も皆、驚いた様子でした。
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いささか残念なのは中国人観光客。日本一の石仏の前で少々お馬鹿なポーズで記念撮影はよいとしてもそれはマズ先に自分も手を合わせてからすべきだろうし、ましてや他人が祈っている前でそんなことをするのはもってのほか。また、一応神聖な場所なので非常に大きな場所であっても大きなだみ声で会話するのは止めて欲しかった。ま、飲み食いした後に念入りにゴミを拾って持ち帰り、去りかけた時も元いた場所をチェックしていたのはよしとしよう。 ちなみに中国人の態度は豪州や露国でももちろん大問題になっていて、特に豪州ではかなりひんしゅくを買っているようでした。 その後、高速で移動し、やや離れたところにある天台宗大悲山笠森寺、別名笠森観音に。 天気がいささか悪くなってきましたが、とりあえず雨は降らなかったのが幸い。ここはこんもりと盛り上がった岩山の上に床を敷き、清水寺のように四方を柱で支えた四方懸造という特殊な構造で、日本ではこのお寺だけしか見ることができません。昔の人はこの辺境にあったはげた岩山に何か霊験を感じたのでしょうか。あいにく構造の補修中で、とんでもない高さに仮足場が組まれ、宮大工さんが作業をしていました。構造が構造だと足がすくむようなところに作業場があったりします。磨周殿は本堂の中に非常に感銘を受けた様子。
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本堂右側に見えるのが修復のための作業場。ものすごい場所にあります。 帰路は例に漏れず、千葉市で渋滞。渋滞中でも様々な会話を交しました。帰宅前には長崎ちゃんぽんを食べて、先に磨周殿を降ろし、次に御礼倶殿をホテルまで送り、帰宅したのは21時過ぎ。結構疲れていたはずですが、色々な話しに花が咲き、楽しさの方が優っていた気がします。 私が一番印象に感じたのは笠森寺本堂入口の柱。長い時間、風雨にさらされて浸食していましたが、それでもまだ、しっかりと入口を護っているかのようでした。 この笠森寺の本堂は戦国時代頃に一度再建されたようですが、そこから数えても500年間、人々が祈りを捧げてきたところです。 入口の柱に手をかけた人たちはどんな人たちだったのでしょうか。当時と言わず今でも房総の山奥深い、人里離れた場所にある寺です。今でこそ自動車がありますが、遠くから自分の足で無事に笠森寺にたどり着いた人たちはどんな切実な願いがあったのでしょうか。長旅に疲れて入口の柱にもたれた人、絶望にうちひしがれてなお、観音に祈ることでかすかな希望を求めてきた人、色々いたと思います。 戦国時代は日本中で戦が絶えなかった時代でした。平和な江戸時代でも大飢饉が何度かありました。お上もお金も全く役に立たないとき、人々は人づてに聞き、少しでも御利益があるような神社仏閣に足を運び、熱心に祈り、聖書に出てきた神殿の賽銭に全額をはたいた老婆のように、なけなしのお金を賽銭として投げ入れ、全身全霊を込めて祈ったと思います。 お堂に入ってくるときは絶望にうちひしがれた上に長旅の疲れでフラフラに、出てくるときは全身全霊で祈り、精根尽き果ててフラフラになって、それぞれ柱に思わず手をかけた人も多かったのではないでしょうか。その人たちの祈りの念が柱に深く染みついているかのようでした。 平和で豊かな時代と言うけれど、寺にやってくる老若男女の多くも、やはり真剣に祈っていました。戦国時代や江戸時代ほどに深刻ではないのかも知れません。しかしそれでも祈っている人たちの横顔は思い詰めた人も多かったように思います。今は何がどう豊かなのか、私は考えずにはいられませんでした。 豊かさとは周囲のモノの量ではなく、自らの心、感謝のある心の量に比例するものではないかと思います。故に日々悩み苦しまされる地獄もつかの間に感じる極楽も、どこか遠いところではなく、私たちの心に形作られるものではないかと思うのでした。 昨日は天台宗総本山・比叡山延暦寺大阿闍梨師が他界されました。埼玉の方にも何度か説法にいらっしゃっていたのは存じていましたので、一度お目にかかりたかったのですが、その願い叶わず。昨日、仏閣巡りをしたのもそういう虫の知らせだったのかも知れません。 平成二十五年長月二十四日 不動庵 碧洲齋