不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

十年一昔

10年前の今日、早朝に息子が生まれました。

実際出産に立ち会い、頭から出てくるところも見ました。

感動と言うよりは、メチャクチャ眠かったのを良く覚えています。

ドラマとかでは若いお父さんが感動的に涙を流すことがあるようですが、私は取りあえず普通に?感動してから病院のソファで爆睡しました。

一般的に妻は妊娠したときから母親だが、夫は子が生まれてから父になるとか言われています。確かに子供が自分に対して反応してくれてから自覚が出てきた観があります。それから10年、私や家族の間でも色々大きく、良くも悪くも変化がありました。

我が不動庵道場(途中改号しましたが)の歴史も10年、禅を始めたのも10年です。

色々考えると10年というのはやはり一区切りなのかなと思った次第。

幸か不幸か子供は一人なので、集中して自分が子供だった時の事を考えて息子に接しています。祖母ならどう考えるか、父母ならどうするか、歴史上で尊敬する人たちならどうするか、自分の経験や知識では。可能な限りあらゆる可能性を考慮して対応しています。

周囲の助けや天恵に依るところ大で、今のところはなかなか良く育っていますが、個人的には思春期辺りが腕の見せ場ではないかと思います。もっともその思春期の土台を今、こさえているところですが。

基本的にうちは教育家庭ではありません。塾にも行ってませんし、英会話は本人がやりたいというので行かせました。そもそも私が英語を話したり、外国人と会ったりしているので、当然息子もそういう機会がたくさんあり、この歳ですでに3回も海外に渡っているため、単なるカルチャーではなく、必要性を感じたのだと思います。書道も最初は友人と何となく始めたようですが、話を聞くと今では筆を揮うのは割に好きなようです。

家であまり強く勉強しろとも言いません。自発的に宿題をしますし、本もよく読みます。多分、私も妻も割に勉強するからだと思います。

科学的なことや難しい事は私に尋ねますが、私が答えたり一緒に調べたり。

また、多分一般家庭よりはテレビは見てない方だと思います。インターネットもかなり短い時間です。パソコンをいじっている大半の時間は英会話のソフトを起動しているとき。

ちなみにうちにはポータブルゲームの類はありません。携帯でゲームもしません。オモチャや楽しみは自分の手で作らせます。そういうことには私も助力を惜しみません。多分こういう事が情緒や脳力を鍛えるのではないかと思っています。

その為なのかどうか分かりませんが、息子の学校での成績はなかなかのもので助かっています(笑)。

科学の話しも仏教の話もよくします。

どうやったら物体を光速以上に持って行けるのか、宇宙の始まりは、核融合エンジンを作るには、月面基地でしなければならないことなどなど話したかと思えば、次の瞬間は人は死んだら焼かれるが、心はどこに行くのか、仏は何なのか、神はいるのか、歩かずに動くと言うことはどういうことか、などなど、主に禅宗ですが仏教についても深く語り合います。

クリアな回答がある問いは底が浅い。そういうものにしか接したことがない人は大抵、右か左か、善か悪か、そういう単純で理想的な二元論しか語れないことが多いように思います。息子にはもっと奥深いものに接して欲しいと思っています。

そんなことを書くと、いかにも気むずかしい子供のように思われますが、子供の能力というのは我々型にはまりすぎた大人の想像を遙かに超えることが多いものです。息子は普通に友達と遊びます。先生や他の親御さんたちからは息子はちょっとお行儀がよく、誰とでも仲良くなれる子供程度に映っているようです。今はそれで十分。

子供のうちから神童だとか秀才、天才の称号は不要です、いや有害ですらあります。

ある意味野心的な(笑)狙いをもっている私は、世界どころか宇宙に行っても恥ずかしくない、ブレない哲学を持った大人になって欲しいと思い、育てています。若くして花咲く人でなくてよいのです。一定の年齢でパーッと美しい花が咲くような大人になればよく、あわよくばそれは私の存命中であればいいなぁ、という程度。

経済大国の国民、科学技術立国の国民、そういうどうでもよい服を脱ぎ去ってなお、有り余る魅力を持てる日本人、これが私の目指すところです。日本の歴史や伝統が体に染みついた国際人、こんな感じでしょうか。よく分かりませんが。

そういう子供を育てるには親が子供のために口や手を動かしても意味がありません。自らが動き、実践している様を見せる。今のところ息子が好きこのんで勉強したり、深い省察を持っているのは私がそうしているからだと思います。やはり親が実践しなければなりません。

また、子供に接するときは片手間、ついで、いやいや、面倒くさい、そんな姿勢で対応しては絶対にダメです。ガチで、真剣に、がっぷり四つになって対応すべきです。子供の問いや疑問、会話にはいつも、重要なヒントが隠されています。それが分からない親は失格だとすら私は思っています。

思えば私も父親10年、息子も子供10年、どちらもまだまだ成長過程です。そんなに気張ったり肩肘張るよりも、上記のようなことを時々思い出しながら、楽しく暮らすのが一番ではないかと思う次第です。

平成二十五年長月二十五日

息子の誕生日に

不動庵 碧洲齋