不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

最後の一人

昨日、親戚から電話があり、叔母が他界したとの連絡がありました。父の姉に当ります。

父は9人兄弟で、父は下から2番目でした。

叔母は9人兄弟最後の存命者でしたが、このところずっと痴呆症のために会うことがありませんでした。90余歳だったそうな。大往生と言うべきです。ちなみに兄弟全員が戦前生まれです。叔母の前に死んだのが父でした。

叔母のご主人はかつて憲兵隊にいて、その時の苦労話をよく聞かせてくれました。

一番印象的だったのは、いつも強面でいること、目を光らせておくことだと言っていました。

人から嫌われるかも知れないが、犯罪が起ってから巷の人々を混乱させ、何か面倒なことになるぐらいなら初めから嫌われ役を買って出た方が世の平和の為だとか。

同じ普通の人間が着ているものが違ったぐらいで権威はなかなか出ない。昔の人はそんなにヤワじゃなかった。馬鹿にされないだけでも大変だったが、恐れられるためにはとても時間と苦労が必要だったとか。

もちろん人に見られているときだけではなく、見られていないときも細心の注意が必要で、酒癖や女癖が悪かったり、権威を無闇に笠に着て、法をねじ曲げて使ったりしないように気を付けたとのこと。普通の兵隊とは異なり座学が多く、覚えることが半端なかったので、叔父はとても大変な思いをしたとのこと。そしてポケットにはいつも法律に関した書籍を忍ばせて、業務中でもヒマさえあれば熟読して業務に関して法律を守っているかどうか気を揉んでいたとのことでした。

ドラマや小説で知る怖い憲兵とは少し違った見方ができ、おもしろく感じたものです。

言うまでもなく、どこぞの国々で憲兵が乱暴に民家に押入って、乱暴を働くなど、およそ考えられないことでした。(兵隊上がりの憲兵の中には任務遂行上で乱暴な人もいたらしいですが、そういう人は後で上司にこっぴどく叱られたらしいです)

叔母は生まれつき足が少し不自由で、歩くのに杖が必要でした。そういう女性を妻に迎えた叔父はやはり尊敬できます。昔の日本人というと、私たちはどうしても映画やドラマ、小説などから窺ってしまいがちですが、実際の日本人はこのように私たちとそう大きくは違わなかったと思います。

反日国家にいちいちギャアギャア騒いでいる連中が増えれば、民主国家ですから民意として戦争になります。そんなのはばかげていると思う人が多ければ、一部で騒ぐだけで済みます。日本を金の成る木だと思う国に阿(おもね)れば、当然ながら骨抜きにされてしまいます。もちろんそれも他人のせいにはできません。

このままで行くともしかするともう一戦交えなければなりません。そんな気がします。ですが、鼻息荒くしている救いようのない連中よりも、終わりを見据えて粛々と備える側を善く支持していきたいと思います。

これで兄弟9人、あの世で仲良くしていることでしょう。

平成二十五年長月十九日

不動庵 碧洲齋