不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

頭のいい人について

こういう事を書くか否か少々悩んだのですが、なかなか興味深い、かつ得難い体験であり、かれこれ14年近く過ぎていることから、書いてもよかろうと思い立ちました。

私が留学から帰国して最初に正社員として就職したのは日本語学校(会社)でした。

そこでは外国人に日本語を教える以外にも、日本人が日本語教師になるためのノウハウを学ぶ日本語教師養成講座を開いていました。私はそこで9ヶ月ほど受講して技術を学び、そのまま社員として採用されました。確か1995年ではなかったかと思います。

そして3ヶ月後に豪州にあった直営校に赴任、1年ほど勤務したのを皮切りに、名古屋、大阪、福岡で系列校を立ち上げ、東京に戻ったかと思えばまた豪州に半年勤務。帰国後、しばらくして退職しました。

この会社のおかげで、20代のうちになかなか得難い経験をさせてもらいました。海外で働く、地方で学校を立ち上げるために物件探しから行う。これは多分、普通では経験できないことだと思います。

また、入社する少し前、24歳の時に研修を兼ねて初めて日系ブラジル人に日本語を教えたのですが、その時に初めて「先生」と呼ばれました。これは衝撃的でしたね。丁度その頃に武門でも一応先生になれる段位を拝受し、このときが一番、「先生とは何ぞや」と自問自答を繰り返したものです。

ちなみにその頃に初めてパソコンなるものに触れ、その便利さに驚愕したものでした。この経験が次の転職で役立ちました。

さて、この日本語学校の社長ですが、ものすごく頭の良い方でした。自分自身で日本語の教授法を編み出すほどの才覚でした(ある程度アイデアは色々調べたのでしょうけど)。まあ、頭の回転が速いとか、そういう類でしょうか。論破するのがうまいのでしょうか。

もっとも社会人になりたての私には分かろうはずもなく、大して才覚も無いながら粛々と仕事をしていたのですが、そのうち自分の職場に対して色々疑問を持ちます。8割ぐらいが1年未満で辞めます。1日14.5時間勤務は当たり前(もちろん残業代など出ません)。元々少ない給与なのに2.3ヶ月の遅配も当たり前。降って湧いたように転勤があり、かと思えば懸命にかかり切りになっていた営業計画を社長の一言でころっとひっくり返ったり。いわゆるワンマンというのでしょうか。それでも社会人成り立ての自分には給料が遅配とか1日15時間勤務とかは当たり前なのだと思っていました。

結果的に私はこの会社に4年半の正規、3.4年くらいの非常勤で働いていましたが、その頃は勢力拡大時期に採用された古参でした。速攻辞めなかったのは入社以後、海外や地方に転勤が相次ぎそういう機会がなかったのと、確かに良い経験ではあったためです。今でも勤務したこと自体はそんなに後悔はしてませんが、その社長のために病気を患ったり、大切な時期を無駄にしたり、あとはスキャンダラスなことに巻き込まれたりと、希望を持って入社してきた多くの人たちを食い物にしていた社長には正直嫌悪感を持ちます。もしかしたら私が知らないだけで、世の中にはそういう一般の人を食い物にしている怪物は多くいるのかも知れません。

在職中、女性問題に関しては数人の同僚から相談を受けたり、醜聞を聞いたりしました。自分で言うのも何ですが、基本的に女性に対していい加減な人間に対しては私は相当手厳しいです。少し前にも女性友人から困って相談を受けましたが、特にこのような問題は当事者同士以外はなかなか全貌が見えにくい故にあることないことまで周囲にまき散らします。女性が問題であることももちろんありますが、私が今まで受けてきた問題の9割方は男に問題があります。故に人倫に悖る行為をする輩に対しては、たとえ頭脳明晰だろうが身体強健だろうがろくな奴ではないと判断しています。(これに限って言えば性善説を信じて大変迷惑したこともありますので)。もちろん、深く反省する人は別ですけど。お金とかも大事ですが、私は生理的に女性関係にいい加減な人は理屈抜きでダメなのです。受け付けません。

教育を売り物にしている会社にあって人が育たぬとはどういう事か。このような不祥事が頻発するなどあり得るのか。頭がいい人間は何をしてもよいのか。そういうことで会社を辞めました。辞めた時期に関してはもっと早くても良かったかなとも思いましたが、それはもう過ぎたこと。今更悔やんでも仕方なし。

ちなみにその社長、数年前に裁判にかけられて全面敗訴したようです。弁が立ち、頭の回転も速い人間でも法の裁きに立たされ負けました。機会があればどういう心境か聞いてはみたいものですが、散々悪事をやり散らかしてきた報いだとも思います。

そんな事から、30代になってからはある意味「頭のいい人」系にはよほどのことがない限りは一歩下がることが多いように思います。今でも時々、そういう人と会ったり、紹介されたりしますが、私はとても用心深くなります。もちろん私も間違えることはありますが、そういうときはすぱりと割り切るようにしています。知恵を悪用するとどうなるのか、今でも時々彼を思い出します。時間や手間がかかってもできるだけ誠実を心がけるのが間違いはないし、自分が家庭を持って子供を育てるにもそれが一番確実な気がします。誠実かどうかは別としてもそう努力する姿勢が一番ではないかと思った次第です。

20代後半の話しでした。

平成二十五年葉月二十五日

不動庵 碧洲齋