昨日、イタリーから華麗なる同門後輩が帰国しました。
彼女はイタリア料理などを手がける才色兼備ですが、今回の旅行ももちろん料理の修行の為。
観光旅行でないところが素晴らしい。
たまたま経済の話になりました。
イタリアの経済状況も他の欧州諸国と同じくどん底。
その上、前の首相が色欲が故に逮捕されるという、ある意味イタリー的な?状況。
政治家が捕まるなら100億円を横領とか、大物を操っていてばれたとか。
ゴッドファーザーの国でダンサーの女の子とイチャついて捕まったというのは何とも情けないです。
話が逸れましたが、イタリア国民はみんな幸せだったそうです。
朝は景色のよい外の庭でおしゃべりしながら朝食を取り、のんびり仕事をして、夕暮れは多分、散歩でもして、家族との団らんを楽しむのでしょう。
車はみんなボロボロなのを直して乗っているそうです。
以前、アルゼンチンの同門と似たような話を交わしたことがあります。
失業率5パーセントで自殺者3万人。10年以上続いています。
50%?15%?と聞き返されましたが、5%と聞いて呆れかえられてしまいました。
あり得ない、信じられない、そんな感じでした。
幸せの価値基準が銀行の通帳残高に因る人は幸せです。
(それがいけないわけではありません)
多くの人は数値にできないものを以て幸せと称しています。
文字通りpricelessです。
一方では一文の価値もないと思っても、一方ではお金では買えない価値があると思っています。
華麗なる同門は、日本に帰ってきて気分が暗くなると言っていました。
みんな不幸そうな顔をしている。みんな暗い顔をしている、と。
確かに海外から来日する同門達は皆明るい。
なんでそんなに明るくなれるの?っていうぐらい。
都内を歩いていると、皆うつむき加減で歩いています。
まっすぐ前を向いて歩いている人は少ない。
経済の興亡は世の常。浮気性の女(もしくは男)のようなものです。
幸せはその相方にはありません。自分の心の在り方です。
私の知り合いにも友人は皆金持ちなのにうちにはお金がないとか、友達は皆専業主婦なのに自分だけ共働きだとか、不平不満を溜め込んだり吐き散らしている人がいますが、たぶんそういう手合いは収入が10億円になっても似たような事を言うでしょう。なんで100億じゃないのか、と。
うちの息子はまとまった数のマンガもゲーム機も持っていませんが、幸せそうです。多分。いつも何かを考えています。そして分からないことがあれば私と語り、調べます。
道端の名もなき花に足を止められる人は、ささやかなことにも幸せを感じられる人かも知れません。ちょっとした偶然に感謝できる人もそうです。小さな親切にもありがたく思う人もそうかも知れません。
世界的に日本にはモノが溢れかえっています。貧乏人といっても飢え死にするのではなく、車が買えないとか、高級なモノが食べられないという程度。世界的に意味する貧困者とはまだまだ隔絶したモノがあります。もちろん最近では本当の生活貧困者も出てきてはいますが、生活力、生命力のたくましさは他の貧しい国に比べると比較にならないほど。
やはり民族としての生命力の衰退は滅亡の危機と言えるかもしれません。
お酒のCMだったか。「幸せって何だっけ何だっけ・・・」っていうのがありました。
モノやカネに依存しないところに、幸せはありそうな気がします・・・。
平成二十五年文月四日
不動庵 碧洲齋