不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

白隠禅師の内観法・・・とか

露国出張後から、どうにも寝起きが悪かったのですが、昨夜はとうとう、久しぶりに内観の秘法を行ってみました。現金なもので、12時近くに寝て、4時半に気持ちよく起きることができました。12時近くまでパソコンを使い、目も酷使していたはずですが、それでも起きられるのはこの方法がよく考えられた方法だからだと思います。この方法は元来劇的な変化をもたらすわけではありませんが、何度もやっていると、1.2回でも効いてくるのではないかと思います。体調が悪いときにやりますが、短いと1日、長くても1週間程度継続します。父の急逝と失業とその他幾つかの要因が同時に起ったときにうつ症状が出かけて、その時に初めて内観法を実践したのですが、その時は2ヶ月近く実践しました。以後、1.2度、2週間程度やりましたが、ほとんどは1週間以下でした。今回は週末にかけて継続して、体調を整えようと思います。週末は久しぶりに長徳寺の坐禅会に行きます。

内観法はどんな理由で効果があるのか分かりませんが、私なりの感想。

多分、人間の生理機能と心理機能をできるだけ離れて隔離させるような瞑想法ではなかろうかと思います。

興奮していると眠れない、酒が入ると眠れる(ま、酒では深くは眠れませんが)という、互いに依存した心理的作用と生理的作用をなるべく切り離す効果が内観法にはあると思います。

禅をしているとベストを尽してダメなことはサラリと忘れられるようになるのですが、もっと深いところ、もっと重要なところなどで心理と生理がこびりついて離れない場合は内観法が有効ではないかと思った次第。

生理機能は科学的もしくは化学的に構成されているものではありますが、生理反応や作用(というのか?)は多分に文化的だと大学で学んだことがあります。(文化人類学だったか何だったか)例えばイスラム。豚肉を食べると吐きます。これは文化ですよね?ヒンドゥーは多分、牛を食べると同じような反応になると思います。そんなようなものだと教授が言っていました。そういう思念に囚われた生理機能を本来の自然のままに解放するのが内観法ではないかと推察しています。特にこの御時世、IT機器やら仕事のしがらみ、我々の精神の強靱さの不足から、さまざまな精神疾患が多発しています。なにがしかの精神的ケアはないよりあった方がずっと安心です。私は自分は強いなどと思ってません。すがれるものにはすがりたい(笑)。特にお金がかからないならなおよし。

白隠禅師が広めた内観の秘法(もしくは内観法)はネットで探すとたくさん出てきます。気分的に落ち込んでいたり、体調がおかしいときなどにちょっと試してみてください。

平成二十五年文月四日

不動庵 碧洲齋