不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

敵と味方という見方

その昔、私は以下の2冊の本を持っていました。

アメリカ人のソ連

ソ連人のアメリカ観

共に著者は下村満子さんという方です。出版されたのは1984年。

私が買ったのは多分1985年、ゴルバチョフさんがソ連の最高指導者になった頃です。

ソビエト連邦というと、日本人なら「昭和時代」を彷彿させるようなノスタルジックな響きを持つと思われますが、現在のロシアでも同じように思われているようです(苦笑)。

どういう訳か、その頃、ソビエト連邦大使館から月刊だったと思いますが、ソビエトを紹介する雑誌も取り寄せていました。無料でした。今思うと全部処分してしまったのが惜しい。

物心ついた頃から戦争に非常に興味があり、西側陣営である日本の敵、ソビエト連邦の正体を知りたかったと思ったのでしょう。15歳の少年は色々とソビエトに関する書籍を読みあさったものです。中でもゴルバチョフ書記長の存在は極めて印象的でした。彼は間違いなく世界でも有数の、優れた政治家です。正直に彼に惹かれました。

確かソビエトの崩壊は留学中でした。留学した年にベルリンの壁崩壊後、何か起ると、みんなが思っていましたが、その2年後にソビエトはあっけなく崩壊してしまいました。

「世界の両大国」の一雄が倒れたという事実に、なかなか飲み込めないものもありましたが、私は正直、ゴルバチョフ氏が台頭してからというものは、妙にソ連に対しては親しみに似たようなものを感じていました。実際、大使館から届いていた雑誌を読めば、鉄のカーテンの向こうに住んでいるのも普通の市民だということがよく分かっていました。

今、ロシアには親しい友人がいます。3回も訪露しました。15歳の私が知ったらひっくり返る事でしょう。今では自由なコミュニケーションができます。行き来もほとんど自由。それでもまだ、ソ連時代の見方、考え方をしている人の何と多いことか。人の持つ固定観念、先入観とはかくも恐ろしいものかと思っています。この固定観念は米国にも向けられていて、今だ米国は素晴らしい国だと妄想している人も多いようです。個人的には美女が多い国の方にダントツ軍配が上がります(笑)。米国人は不健康すぎる。

ソ連からロシアに変わり、世界地図が大きく変わって思うことがあります。これは禅を僅かにかじっている影響もあると思います。

敵でなければ味方、味方でなければ敵、自分と相手、守るものと撃破するもの、正義と悪。人は大抵、このように相対的視点で見てしまいます。それが一番考えなくて済み、楽です。そして当然ながら主体者は常に善だという認識を持ちます。誰だって自分は正しいと思いたい。相手が間違っていると信じたいところ。とはいえ第三者からすれば善と善のぶつかり合い、もしくは悪と悪のぶつかり合いであることもしばしば。それならまだしも、呆れてしまうような理由でいがみ合うことすらあります。大国ですらそういうばかげたことで戦争を起こすこともあるのですから、個人では言うまでもありません。

相対的な見方ではなく、絶対的な見方、「それは何なんだ」と言われると困ってしまいますが、「善悪」と記されたコインそのものを掴めるような、そんな感覚だと思います。硬貨を自販機に入れるとき、表裏を気にする人はいません。ちゃんと入って商品が出てくれさえすればよいのです。表裏は全然関係ありません。というより硬貨を投入した人も意識していないと思います。そんな感覚のように思います。

私自身、人を殺傷する術をたくさん学びました。人は簡単に殺せます。それだけに自身を限りなく慎み、怒りや憎しみといった感情を透過させようと努力していますが、なにぶん煩悩も多いのでなかなか難しく。特に視点が相対的だと気が滅入ります。そんなときほど絶対的視点を持つと、スッと通り過ぎることができます。できます、ではなく、そんな気がすると言う方が正しいかも知れません。

敵を制圧する為、倒す為、そんな為に武芸を学んできた時期もありましたが、今は問題を解決する手段、トラブルを取り除く手段として考えています。おかげで迷いも一つなくなった気がします。世の中は特撮ヒーローものやアニメのようにはなかなかいかないものです。

と、この記事を読んで思った次第です。

ウルトラマンは悪だ…最初笑って後でぎくり=中国版ツイッター

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0703&f=national_0703_026.shtml

平成二十五年文月三日

不動庵 碧洲齋