不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

旭日旗と横断幕と

私は毎日、外国のお客様とメールでやり取りしています。

そして週に2.3日は実際に外国人と顔を合わせます。

単なる観光旅行ではない、渡航も何度もしてます。

(というか、純粋な意味での観光旅行はハネムーン以外はしていない)

20代の時は5年近くは米国と豪州にいたことがあります。

フェイスブックでは私の英語能力を遥かに凌駕する難しい事を、ない頭を絞って色々書き込んだりしています。(大抵は武道か禅に関することで、該当のページに書き込んでいます)

別に好きでやっているわけではありませんが、ほぼ毎日、何かしら英語を使わねばならない生活環境にかれこれ30年近く身を置いています。

その中で私がいつも気を付けていることは

「日本人として恥ずかしくない言葉遣いと姿勢」

です。

世界がよい意味において期待、想像している日本人であろうとすることです。

人種差別や社会的階層差別、政治思想差別や宗教差別をするような人間は得てして心が卑しいもの。人が差別されるならそれは品位のあるなしでありたい。

先日のサッカー東アジアカップでの話し。韓国側応援席では横断幕、日本側応援席では旭日旗をそれぞれ掲げたとか。全く以てどちらも愚かな連中だと言わざるを得ません。ある意味、旭日旗を掲げた連中は、勝者たる日本チームの品位を著しく傷つけたことにもなります。

客観的に見て、横断幕はメッセージである上にあの内容だから言い訳のしようがないことはとても明白です。以前にも韓国のサッカー選手が竹島の政治的アピールが書かれたボードを掲げて問題になりました。全く反省がない、どうしようもない民族です。常に何かに怒り立っていないと継続できぬ哀しさがあります。彼らは日本と中国に挟まれ、今までずっとひどい目に遭ってきたのは事実です。そして今でも南北に分断されたまま、北朝鮮は世界に名だたる不良国家のレッテルを貼られているので、同民族である韓国にはひどいことこの上もありません。

一方の旭日旗は今でも正式に使用されている日本を意味する旗だからある意味問題はありません。自衛隊で使われています。しかしこれを掲げた連中は韓国では過去の歴史を連想させ不快にさせるものであることはよく分かっていたはず。持ち込むことはもちろんのこと、それを掲げたとき、相手がどんな気分になるのか考えなかったのか。せめて日の丸ぐらいにしておけばよいものを、わざわざ相手を刺激する旭日旗を使うとは呆れてものも言えない。これを掲げた連中はきっと、相手の身になってものを考えるという、ごくごく初歩的なものの考えすら知らないのかも知れない。

客観的に旭日旗にどれほどの政治的メッセージがあるか、これは本当に微妙であり、決定的に非があるとは思えません。しかし韓国で使っている限りはどう考えてもよい理由の訳がない。また、日の丸ではなく旭日旗を使わねばならない理由も分からない。日常社会では相手がいやがることをしてはならない。海外であれば尚更。その国の国民ひとりひとりがその国を代表しています。これは海外に行ったことがある人ならある程度分かると思います。菊の御紋入りのパスポートが水戸黄門の印籠の如く、絶大なる信用を勝ち得ているのは、日本人の言動、姿勢からなのです。

相手もしているからこっちもする、などと言う愚かなことを言うならいっそのこと日本人を止めてください。そういう人は日常社会生活でもきっと円滑ではないでしょう。旭日旗は今でも使われていて政治性はないと平気で言う連中には国際社会人として物言う資格はありません。あなたは海外に行けば行くほど、間違いなく日本の権威に泥を塗ります。世界は正邪よりも相手を知ろうとする努力の姿勢、相手への思いやりというか誠意で動いていることが多いものです。

日本人はいつも遅かろうが遠回りだろうが、誰もケチが付けられぬ正攻法で行きます。私の会社は中国工場がありますが、通関時、よく腹立たしい難癖を付けられます。コンテナを片っ端から開けられて、いいように梱包をばらされます。でも日本側ではそれに関係なく、粛々と通関が行われています。それが日本の在り方です。言われるがままではなく、さりとて角を立てず。激情ではなく冷静さで動く。これが理解できない人は「和」の国の民だなどと自称しないで欲しいところです。私は日本国民として誇りを持っています。だから世界の人たちから敬意を持たれる言動を心掛けたいといつも思っています。

平成二十五年文月三十日

不動庵 碧洲齋