不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

「翔」心の一人旅

この連休は初めて妻から「家を出ろ」と宣告されました。(ウソウソ) 友人家族が愛知から来るので、その間どこか出かけてみたらと、親切に言ってくれたのだと思います。多分。 以前から行ってみたいところがありました。ずばり長野県飯山市。長野県最北端に位置していて、新潟県に接しています。ちょっと遠いのですが、滅多にないチャンスと言うことで、早速出かけました。
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こういうツバメのための棚が幾つもありました。NEXCO東日本なかなかやるな。 1泊2日、日-月で行きました。往路はやや混んでいたものの、まあ渋滞と言うほどでもなく・・・でもやっぱり混んではいたなという程度。関越自動車道を北上、藤岡で上信越自動車道に乗り換えて、横川サービスエリアで休憩。トイレに行ってみると、壁のあちこちに小さな棚が設けられ、ツバメの巣ができていました。背の高い人が手を伸ばしたら届きそうな高さですが、ツバメたちは人を恐れるでもなく、親ツバメがえさを運んでくるのを今か今かと待っていました。言うまでもありませんが周囲は人だかりです。これはなかなか見物ですよ。軽く食べてから出立。
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駅舎には見えない感じ。
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駅すぐ横にあった山門と仁王像
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これは正受老人か白隠か。とてもよい表情をした銅像でした。 10時過ぎに飯山駅に到着。とりあえずただで駐車できるので、そこに駐車。 駅舎はなかなか風流な造りだったため写真に収める。その隣には寺があるわけではないのに三門があり、仁王像が安置してありました。最近できたもののようです。そこを過ぎると公園なのですが、奥に托鉢中と思われる姿の雲水の銅像があります。なかなか趣がありました。 街の中は融雪装置の錆でしょうか、道路のあちこちや多くの建物の下部が茶色に汚れています。これは何とかならぬものでしょうか。
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若き白隠が正受老人に蹴落とされた坂。
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正受庵 真っ先に向かったのはかの有名な正受庵。飯山まで来たかったほとんどの理由はここに来たいが為でした。思ったよりも市街地住宅地の中にありますが、ちょっとした小高い丘の上の茂みの向こう側にあるので、看板がないと分からないような、そんな場所でした。 大きな丸石や角石を荒く敷き詰めた坂道を上りました。この坂こそ若き日の慧鶴、後の白隠禅師が生意気なことを言って慧端こと正受老人に蹴り落とされた坂だと言うことですが、打ち所が悪いと確かに大怪我しそうです。登り切ると正面左側に正受庵、右側手前に茶室、奥に鐘楼があります。さらに一段高くなった上に庫裏や座禅堂があります。 正受庵は寺格を持たない、いわゆる修行道場なのですが、確かに普通に見られる江戸時代のレギュラーサイズの家です。水戸黄門とかにも出てきそうな、ごくごくありふれた建築物で、言っては何ですが全然特徴がありません。外観では外壁がとても新しい。これは割に最近修復されたから。近くで見ると梁や柱は結構古い。これは入れ替えてないからだとか。
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水石
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栂(キャラボク) 賽銭箱のマークはやっぱり六文銭。正受老人は真田の庶子だからですかね。正受庵の角にかの水石がありました。周囲の景色にマッチしていないあの感じがよい。触っても良さそうだったのでペタペタ触らせてもらいました。冷たくて滑らかで気持ちよかった。この水石は元々飯山城にあったものですが、慧端が江戸から帰郷した折、城主の松平氏が記念に寺を建立しようと申し出たところ、慧端はそれを断り、さりとてその気持ちを無碍にしたくなかったので、水石と栂の木を頂いたそうな。栂と言っても実はキャラボクだそうです。香の材料に使われますね。栂の木も庭にありましたが、結構痛んでいました。
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奥が座禅堂で手前が庫裏 連休中なので結構観光客が多いかと思いきや、全くおらず・・・。庫裏や座禅堂も見て回りました。当然ながら正受庵よりも庫裏や座禅堂の方が断然大きいし、こっちの方が造りは普通のお寺。庭も広く、池もありました。住職はいたのかいなかったのか。正受老人のお墓にも手を合わせました。その左隣が慧鶴をうまいこと言いくるめて英巌寺から正受庵に連れてきた宗覚さんのお墓。彼は正受老人の亡き後、正受庵の2代目住職になりました。ちなみに彼はなかなか大きな身体だったそうですが、彼も正受老人と同じく出家前は飯山藩藩士でした。その後、自分が連れてきた白隠が有名になったりしましたが、宗覚さんはやっぱり、淡々と自分の修行に専念したのだと思います。墓石もわざとなのか、正受老人の墓石とは対照的に草葉に隠れていますが、彼らしい在り方のようにも思います。
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正受老人の墓(中央)と白隠を連れてきた宗覚の墓(左隣) お墓の前の広場には何故か大量の蜂がぶんぶん低空で飛んでいました。最初は少々怖かったので、回り道をして、畏れ多くも正受老人のお墓の背後から回りました。しかしその後にまた、回ってきたときは無心で正面からアプローチしました。これが正解なのかどうかは分かりませんが、そんな気がしました。
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心字池の蓮の花 また正受庵に戻り、南側の縁側で心字池を眺めていると一人の老人がやってきました。真夏だというのに毛糸の帽子を被り、よく日に焼けていることから多分農家の人だとは思うのですが、私の目の前を横切り、靴を脱いで今度は私の後ろを通り、中に安置されている観音様を拝んでいるようでした。多分、感じからすると毎日来ているようです。その後私の後ろを通り、私が座っているところから2.3メートルしか離れていないところに正座しはじめました。静寂・・・帽子を深く被っていたので寝ているのか起きているのか分かりませんでしたが、全く身じろぎ一つせずにそのまま20.30分ほど。昼のチャイムが聞こえたので私は正受庵を後にしました。 続く 平成二十五年文月十七日 不動庵 碧洲齋