不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

子供を見るのではなく子供と見る

私は息子と色々な話しをします。

アニメの話。SFの話。禅の話。宗教の話。科学の話。武道の話。歴史の話、etc, etc。

そういうときに必ず気を付けていることはリミットを設けないこと。

質問を出させるような会話にすること。

誠心誠意耳を傾けること。

否定するのではなく、よりよい方向に向けてやること。

子供は渇いたスポンジに水が染み込むようなもので、私が感じる限りはリミットがありません。

確かに「難しい」と思うことはあるようですが、故に挑戦するもの、と思うようです。

これは人が人である所以ではないでしょうか。

その途上で一人では到底成し得ないようなことをする場合、人間としての社会性や協調性を育てあげねばなりませんが、この辺りが教育の要かなとも思います。

人間同士のやり取りに磨きをかけるための訓練、とでも言うのでしょうか。

その為に人徳や品位、礼儀や博識、信念や行動力、そういったものが必要になってくると思っています。

知識や能力あっての人ではなく、人あっての知識や能力です。

故に私は息子にほとんど勉強しろと言いません。

自分が勉強するようにしています。誰がどれだけ勉強が必要かなど、自分にしか分かりませんから。必要なときにすればよいのです。ただし勉強の労力を避けたり、艱難に向かう勇気を持たないことはよろしくありません。また、それをしなかったばかりに後々苦労することがあっても僻むような卑しい人間になってもいけません。

後悔できる人はある意味余裕がある人。余裕を正しいことに使っていない人です。勝手な想像ですが、余裕を正しく使っている人はそれを挑戦に振り向けるような気がします。

先日、フェイスブックで非常に素晴らしい言葉を見つけました。

【「志」と「野心」の違い】

「野心」とは、おのれ一代で、何かを成し遂げようとする願望。

「志」とは、おのれ一代では成し遂げ得ぬほどの素晴らしい何かを、次の世代に託する祈り。

(田坂広志著『これから働き方はどう変わるのか』(ダイヤモンド社)より)

この言葉にはいたく感銘を受けました。子を持つ親としてはこれ以上の表現はないようにも思います。

私の祖母は夫を戦争で亡くし、貧困の内に母を育て上げましたが、がんで他界する数ヶ月前から母にノートとアルファベットのテキストを買ってこさせ、英語の練習を始めたそうです。その理由は「戦争で主人を亡くしたのは相手の国と理解し得なかったから、国民みんなが英語を理解すれば戦争は減る。」とのことでした。祖母、母そして私の代でそれは実現しています。

米国ネブラスカ州にあるマウントラッシュモアに彫られた4人の大統領はご存じだと思います。私も見に行きました。あれも3代かかって彫られたそうです。

私は息子と宇宙の話をします。人類は頼りない内燃ロケットなどではなく、もっと強力なエンジン、高度な科学力で建造された宇宙船を駆って、大宇宙に進出していかねばならないと、共に語ります。私の志が届けば、息子の子供は例えば火星ぐらいには行っているはずです。

例えば人類がそれを目指すなら、戦争も貧困も不道徳も経済格差も解決せねばならない問題として映ると思います。難しい理屈は抜きにして、宇宙に行くには莫大な予算が必要なので、戦争や経済格差があっては困るのです。また、不道徳があると宇宙でみんなで暮らすのに不快な思いをする、息子はそういう風に世の中の問題を捉えています。

私は息子を見ないようにしています。息子は多少なりとも親を見習わなければなりませんが。しかし私と息子はいつも同じ、遠い未来を見るようにしています。未来からの視点で今の何が、どこがよくないのか見るようにしています。

それが時々神の視点だったり仏の視点だったり、歴史上の人物の視点だったりします。そういう意味では息子との会話ではタイムトラベルをするのかも知れません。

私は祖父母から何かを託された両親に育ててもらいました。私は両親から何かを託されたものを息子に託しています。思えば祖父母だってその先祖から何かを託されているはずです。それらは言葉にはならないものですが、子を持って育てている今、それは確実に理解しています。そのような連綿とした人の営みがあり、それを無為に過ごしていない流れの中には志というものが背骨のようにあるのではないかと考えます。

子供と一緒にいて楽しいのは、その先の何かを想像できるからです。その先の何かには間違いなく、私の思いも部品の一つとして組み込まれています。昨今親殺し子殺しが増えていますが、それらは多分、ここをにらみ合うだけの非建設的な行為に縛られ囚われているからではないでしょうか。親子でその先を見る、その場合、他の人とでは決して見えない何か特別なものが見えてくるのではないかと思うのです。

平成二十五年水無月十一日

不動庵 碧洲齋