不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

鳥の足跡に想う

リムジンバスが出る草加駅でバスを待っていたとき、ふとバス停のアクリルの屋根を見ていると、丁度鳩が下りてきて、鳩の足裏が見えました。伝説によると今から約5000年前、中国最初の為政者である黄帝の一史官、蒼頡(そうけつ)が鳥や獣の足跡の形によって元の動物を推測できることから、文字によって概念を表現できることに気付いたそうです。それ以前は老子にも出てきますが、縄を結んで文字としていました。結び方や結ぶ数、縄の太さで色々な情報を伝えることができたそうです。(結び縄文字はつい最近まで日本でも使われていました)鳥の足裏を見て、その蒼頡を思い出しました。

蒼頡はなぜそうしようと思ったのか。まじめな史官だったからなのか、それとも誰かに想いを伝えたかったからなのか。縄文字では伝えきれぬ何か熱い想いが彼にはあったのではないかと勝手に想像しています。その想いを感じたとき、私はつくづく人間は動物とは違うなぁと感慨深くなります。どちらにしても彼の偉業は5000年後の我々の生活を豊かにしてくれています。また、アラビア文字やアルファベットのような音声文字に比べて、漢字はとても風雅で趣がある文字として認識されています。バリバリのネトウヨ君でも漢字を使って威嚇していることが時々笑えます。どうせなら英語とかフランス語で言えば、世界中の人に発信できるのに(苦笑)。私はたまに国際慣例上、国際儀礼上、許し難い場合にのみ、英語で書くことはあります。文句を言いたいだけなのか、世界に理不尽さを発信したいのか、そういう見方で自分の発言を省みれば、個人や民族の品格のなんたるかを感じ取ることができるのではないかな?

ばかげた青臭い理想論ではありますが、本来、文字は正しい理念、他人のためになる理念、良き言葉を連ねるためにのみ用いたいところです。特に蒼頡の作った文字は日本語の一部を成し、英語に次ぐ世界で二番目に多い出版印刷物を輩出するまでに至っています。世は不景気な時代ではありますが、我ら日本人の大和の心を以てすれば、本当の意味で世界に和をもたらして多少なりともまともな世界に貢献できるのではないかと思ったりします。

そんな事もあって私はブログを書いたり、英語の場合などはFBに徒然書き込んだりしています。

鳥は足跡しか残せませんが、人は死ぬまで多くのことを書き残すことができます。

また、ブログであれば世界中からそれを見ることができます。

私は世界中の個人が互いによい影響を与え合うような関係になればよいと思います。

私自身、時々筆が滑ったり、悪辣なことも書いてしまうこともありますが、できるだけ人の性善説を守りたいところです。

昨日、ホテルの近くを散歩していたら、ロシアの対ドイツ戦勝記念碑を見つけました。そこにはソビエト軍に撃破された、ドイツ軍の75ミリ対戦車砲がモニュメントとなっていました。市民達は全く感心なさそうでしたが、鳩たちはその大砲の砲身の上で楽しそうにしていました。砲身に平和の使者である鳩の足跡がつく。今のロシアの実情なのか、世界に平和を希求する我々人類の在り方なのか、しばしば考えるものがありました。

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平成二十五年水無月四日

不動庵 碧洲齋