不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

乱近愚 世界で何番目?

日本人、中国人、韓国人に共通していること、それは「世界ランキング」が好きなこと。欧米人はそれほど気にしていません。その辺りが本当に熟成した個人主義で、自分の責任を全うすることこそが結果的に国に貢献していると思っているようです。この世界ランキング、日本人も気付いていない大きな落とし穴があります。それは・・・「平均」でしかないから。日中韓ではこの比較に意味がないのは中国。なぜなら中国のジニ係数はすでにレッドゾーンです。つまり中国でGDPが日本より上と言っても、一部の豊かな人たちにだけ関係があり、大半の貧しい国民には関係がないから。日韓では国民の多くが中流階級なので、世界で何番目というのは比較的役立つと言えます。しかし貧富の差が激しい他の大半の国ではそれこそあまり意味のない比較ということができます。これは日本にしか住んだことのない日本人だと、なかなか実感しにくいと思いますね。

各個人の豊かさもお金を取るのか環境を取るのか、もしくは別の部分を取るのかによって変わってきます。だから世界で何番目という比較はあまり意味がないのですが、日本人を始め、中国人も韓国人も世界ランキングが大好きです。そういう精神構造を持っている限りは多分、随分心が貧しいままだと思います。

また、それ故にランキングで見た国と、実際に見た国のギャップが大きいこともあります。例えば今私がいるロシア。世界的に見てまだまだ悪い要素が多い国ですが、実際に見てみるとさにあらず。アメリカも然り。世界の超大国とか言われてますが、デブばかりの国民がアイフォンの奴隷になっている様相です。日本だってサムライの国とか言われてますが、実際外国人がやってきてみると、「な~んだ」と思う人もいます。外国人からすると日本人はたくましくないことが多くあります。

玉石混淆で大者小者一緒でいいのですが、日本人はどうしてもその平均がないと済まない民族のようです。「違う」ことに畏れ差を持つ日本人は、時にこれが悪いことも多々あり。「メイク・ア・ウィッシュ・ジャパン」という団体があります。治療不可能な難病にかかった子供達の最後の望みを叶えてあげるアメリカ生まれの団体です。子供達から最後の望みを聞き取るのですが、海外では「宇宙船に乗りたい」「大統領に会いたい」「有名俳優に会いたい」「アマゾンに行ってみたい」「南極に行ってみたい」などなど、非常にバラエティに富んでいますが、日本人の場合はかなり多くの確率で「TDR」と書かれています。東京ディズニーリゾートです。子供の頃から同じことを考えているのにはぞっとさせられます。日本でプリウスインサイトばかりが走っていることと無関係ではないでしょう。

無限の多様性には無限の可能性があります。皆と違うことを是とする。そもそも大自然が生み出した産物には何一つとして同じものはありません。気が狂ったかのように完璧に同じものを作ろうとしている生き物は人間だけです。違いを是とする人には、我が国が世界で何番目など関係ないのです。各自が各できることを精一杯にやる。世界ランキングはその結果にしか過ぎません。目くじら立てて中国や韓国をあしざまに言ったりする愚か者にはそういう視点が欠如しているような気がします。私も時々中国や韓国にかなりスパイスのきいた皮肉を言うことはありますが(笑)それはせいぜいニュースのネタのついでに言う程度。しかも世界的慣例や国際儀礼的に反している場合、もしくは人道的に許されない場合がほとんどです。口汚くののしることに意味を感じません。というよりも日本人はそういうことをしてはならぬのです。

私の考える日本人の豊かさは、やはり民度が高いこと。欧米人にどんなハンディキャップを突きつけられようとも、理不尽な要求をごり押しされようとも、黙って受け入れて黙々と乗り越え、不平や不満を言わないで、更に貧しい他国に救いの手を差し伸べる。経済的な豊かさはこれらを解消できる程度で構わないのです。一番聞いていて嫌なのが、日本のランキングが高いことがあたかも自分の功績のように誇ること。寄らば大樹の陰は分かりますが、あなたの功績ではないでしょうに、と言いたい。

よその国はどうでもいいんです。先祖から守られてきた生き方、やり方を守り、さらなる研鑽をして、それを以て世界の国に貢献する。そうしてきた先人達が世界から賞賛されています。世界で何番目などと言う、ばかばかしい比較を気にする閑があったら、我々は自身の責務を全うしたいところです。

平成二十五年水無月三日

不動庵 碧洲齋