不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

遁走術など

いわゆるニンジャは遁走術に長けていると言うことになっています。 一般的には木・火・土・金・水などを多用していたことになっています。 当流にも忍術の流れを汲む流派が存在していますが、さすがに現代では時代劇に出るような術を使う機会も少なく、そもそもそんなことを道場内でやるわけにもいかず。 忍者が他国に類を見ない活躍をしたのは色々な要因があるのだと思いますが、日本人ならではのものの考え方があったのかなとも思います。日頃の稽古ではそういった特殊技術の稽古はしませんが、考え方や思想面で、遁走術の知恵や哲学が善く生きていると思うことはよくあります。 これらはあくまで宗家や先生方、同門たちと接してふと思い付いた、私個人の思いつきなので、当流の公式見解とかではありません。あしからず。 木遁之術:木に化けて遁走する術。それはそうなんですが、それでは何とも身も蓋もない話になっていまいますので、私が日頃考えている木遁の術をば。 木は鉄より弱いです。プラスチックより保温性がありません。しかし逆に考えれば鉄よりも保温性が高く、プラスチックよりも丈夫、しかも燃やしても無害ですし、そもそも放置しても腐っていつかはなくなります。 木は主張しませんしシャベリません。他の動物のように逃げ回ることもありません。伸びるまま、実を取られるまま、切られるがまま。全部受け入れます。 まあ、そんなところに目を付けると、私たちの生き様にも何か得られるものがあるのではないかと思った次第です。木に化けるより、木のように生きてみる、現代ではなかなか味わいのある生き方のような気がします。 火遁之術:放火したり、火を囮にする、火薬を使うなどして、遁走する術だそうです。しかし今みたいにライターでチャッと火が付くわけでもなし。なかなか一苦労だったのではないでしょうか。 火は一つですが二つの機能があります。一つは「明るさ」。電灯が普及するまでは火とは光源であり熱源でもありました。これは本当に便利というかエコですね。暖めるだけ、明るいだけ、それだけ特化するのもいいですが、現代人の火の扱いの下手さには危惧さえ覚えます。 火は色々なところにあります。怒り、恨み、憎しみ、嫉妬、苛立ち、欲情、これらを全く持ち合わせていない人は聖人を除けばふぬけみたいな人間になるのではないかと思うのですが、逆にありすぎると悪魔みたいになるのは言うまでもありません。それにしても現代では自律が効かず、暴走する人が何と多いことか。キレる人が多すぎます。食べ物とか生活環境とか色々な原因が取り沙汰されていますが、そういった心の黒い炎をどれだけうまくコントロールできるか、それが火遁の術の奥義ではなかろうかと思ったりします。 土遁之術:土に潜って敵をやり過ごす術だそうです。土を掘ったり、葉っぱや枝でカムフラージュしたりと、なかなか大変です。スケールが大きければ、現代では機械力で簡単に大穴が開けられますが、昔の人力ではさぞ大変だったことでしょう。 人は死ねば、基本、焼かれて土に還ります。(その前に骨壺に何十年か収められるらしいですけど)なので、死ぬと自動的に火遁の術と土遁の術のお世話になります(笑)。昔は焼かなかったので、土遁の術だけが葬式の予行演習みたいなものだったと思います。だから、土遁の術専門の忍者は何度となく土に還ることの意義を考えたに違いありません。明日死んでしまう、そう思って今を生きると多分違うと思います。また、木遁の術と違って高みにいるのではなく、人様の足裏の下にいる、一番低いところにいる、一番低いところから見た世界は違うと思います。当流では受身などで姿勢や体勢が低いことが多くありますが、やはりいつもと違った景色を見ます。 死に還る、いつもと違う高さでものを見る、土遁の術はこんなところに魅力があるのではないかと勝手に思っています。 金遁之術:相手を幻惑させる、とか、お金をばらまいてその隙に遁走する術なのだそうです。亜流としてはやはり袖の下(笑)に使います。 他の遁走術よりも確実に使えそうな気がします。予算が許せば私なら何を置いてもこの遁走術を多用します。汗をかきながら穴を掘ったり、苦労して火を起こしたり、寒い思いをして水に潜るのはあまり好きではないので(笑)。一張羅が台無しになるじゃないですか。 お金で身を滅ぼす人が何と多いことか。今でもいますよね。金は人を生かしも殺しもする、とは言い古された言葉ですが、真理だと思います。お金が欲しくないようなおめでたい人は滅多にいません。私だってあれば1億円ぐらいあったらなと、思わなくもありません。現実に私は宝くじとか買わないので、そういう妄想はサクッと断っているだけですけど。金に囚われず、利用する。お金持ちなどはこういう事がうまいんでしょうね。お金「を」求める人は破滅するのだと思います。お金「で」求める人は割に成功するんじゃないですか?エラそうなこと言ってますが、私も普通にお金は欲しいですよ。 水遁之術:水に潜ったりして城から逃げたりする術だと言われています。一番使いたくない術だな。一張羅がずぶ濡れになるし、寒いし、みっともないし、任務失敗したら目も当てられない。私だったら堂々大手を振って城門から入り、門番に腰を抜かすような袖の下と好待遇を提示して通してもらいたいです(笑)。 毎年海で溺れる人が多いですが、自然をナメているか、安全を無視しているか、そういう人が多いような気がします。もちろんそうでない、不幸なケースもありますが。 欲に溺れる、人情に溺れる、愛情に溺れる、権力に溺れる、女(男)、酒、ギャンブル、権力、などなど、人は社会で溺れまくりです。しかもこれらの場合、気持ちよくなりながら溺死してしまうことが多いのですからたまったものではありません。しかも水死ならともかく、上記に上げたものの場合は他人にも大いに迷惑をかけてしまいます。プロの忍者はそういうあらゆる欲望からも溺れないような術を持っていたのではないでしょうか?だいたい、任務で大金を持っていて欲に溺れないぐらいでなかったら、金遁の術など使えませんからね。 忍者は自然を味方に付け、機動するところに奥義があります、多分。故に人間社会にいる我々は、よくよく自然に逆らわぬよう、エゴが出ぬよう、注意せねば、この遁走術をうまく使えないと思います。これらの遁走術を心に持っていれば、あなたも社会で生きるに当って、多少は楽に生きられるのではないでしょうか? 平成二十五年皐月二十二日 不動庵 碧洲齋