私は禅仏教に深く帰依していますが、ブログにもよく出しているように基督教にも深く共感を持ち、自分の生き方の中に多く取り入れています。
初めて国内でアパート暮らしを経験したのは何を隠そう愛知県。留学後、日本語学校にて日本語教師の養成講座を受け、そのまま職員(社員)として採用され、初めての勤務先が、豪州メルボルンの直営校。正社員として最初に給料をもらった場所が海外でした。豪州には約1年勤務して、帰国後まもなく命じられたのが新たに設立される名古屋校でした。
米国留学中で発のアパート暮らしを経験していたので、一人暮らしは初めてではありませんが、(豪州ではホームステイと会社で借りた家で集団生活でした)仕事をしての一人暮らしは初めて。初めて暮らすのには名古屋はコンパクトでとても住みやすかったと記憶しています。
まあ、色々あって(苦笑)、名古屋赴任中は非常によく基督教を学び、聖書を熟読しました。英語の聖書も読みました。名古屋には割と教会が多いのですが、何度か通いました。宗旨替えまではしようとは思いませんでしたが。なかなか得ることが多かったように思います。
名古屋滞在中に忘れられないことがあります。
寒い冬のある日、仕事を終えてアパートに戻る途中、ふと温かいコーヒーが飲みたくなり、自販機の前に自転車を止めました。ちょうどそこは紙の回収業者の工場前で、多くの路上生活者たちがリヤカーに大量のダンボールなどを積んでたむろっていました。私は自分のコーヒーを買った後、自販機のすぐ近くにリヤカーを止めていた一人の高齢の路上生活者に気付きました。ボロボロの防寒着を着ながら寒さに震えていました。私は少し考えてからもう一本缶コーヒーを買い、その老人に差し出しました。
「よかったらどうぞ」
その老人はものすごく明るい声で
「ヨッ!悪いねお兄ちゃん。こんな寒い日には本当に助かるよ!」
と返されました。私は何か釈然としないものを抱えながら、ちょっとだけ会釈をして去りました。
アパートに戻り、何かをしているときに突然気付きました。
私はあの老人に缶コーヒーをあげたとき、老人が涙を流しながら
「旦那様、ありがとうございます、ありがとうございます。」
と重ねて深い感謝をされることを期待していたのではないか、私の情けに深く感じ入り、跪くのではないかと期待していたのではないか。
晴れて胸のつかえが取れたとき、己の恥ずべき心に対して正直泣けてきました。自分の愚かで傲慢な心根に心底怒りと情けなさを感じました。
イエスキリストが言っていた「無償の愛」はそういうことだったのか。
新約聖書で好きな言葉があります。
「 自分を愛してくれる人を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。」
私はこの言葉が「無償の愛」を端的に表現したものだと思っています。
それから数日間、己の恥ずかしさ、情けなさ、悔やみが一度に襲いかかられたような気分で過ごしました。
数日後、ダンボールで一杯になった重いリヤカーを引いているその老人の姿を見かけました。私はたまたま夕食用に買ったバターロールをそっと、分からないようにリヤカーに付いたかごの中に放り込みました。
それからも、時折、街で重い荷物を引いている路上生活者を見かけ、何か食べ物や飲み物を持っていたときは、分からないように差し上げました。彼らはきっと、不特定の誰かに対して感謝をしてくれたに違いありません。そう思ったとき、初めて、私は安らいだ気がしました。
名古屋から大阪に転勤する際、新幹線でしたが名古屋駅のホームで駅のプレートを見てはっと気付きました。そういえばここは「愛知」でした。このときの衝撃は今に至って忘れることができません。
若かりし頃の傲慢な失敗談でしたが、その教訓と気付きは今こうして家族があり、良い師に逢い、多くの友人ができている基となっているような気がします。
今でも聖書やはり、人としてどうあるべきか、揺るぎない言葉が多く収められている、優れた書物だと思います。
私が
平成二十五年皐月二十五日
不動庵 碧洲齋