私は2003年11月4日から2008年6月1日に亘って四行日記なるものを書いていました。
四行日記とは文字通り4行で構成されている日記です。
ネットでも検索できますので調べてみてください。
これは息子が生まれてまもなくから現在の会社に入社したことと重なっています。
この期間には社会人になって、いや、人生において超最悪な場面もあったりしました。
こちらはブログではないので一挙公開というわけにはいきませんが、例えばこんな感じです。
080205晴
今日、あることに気付いた。
遠い未来も今の積み重ね。
過去も未来もない、前後際断。
私は今この瞬間を生きている。
一行目は事実を記載。
二行目は発見を記載。
三行目は教訓を記載。
四行目は宣誓を記載。
こんな感じです。
ちなみにこの2008年2月5日の日記は随分偉そうに書いてますが、精神状態は一番最悪の状態、いわゆる心が折れる寸前だった気がします。正直言うとうつ症状が頻発して自殺未遂状態?みたいな(笑)。地獄の釜の底を覗いたような、そんな気分でした。よくもまあ生き延びたものだと思うと共に、人間なんて本当に弱いなぁと笑ってしまいます。人間、武芸をやっただけで強くなれる人はそう滅多にはいないと正直に降参しました(苦笑)。
当時は父が急逝して、武芸に行き詰まり、無職状態で、その他からも手厳しい追及が重なり・・・。発作的にいつ自殺に走ってもおかしくないような状態でした。そうならなかったのは思いも寄らぬほど暖かい声援を送ってくれた友人の皆様、禅仏教に本気で帰依したこと、そして息子の存在でした。どれか一つでも欠けていたらヤバかった。
そういうこともあって今までこの四行日記はじっくりと読めずにいたのですが、ある程度禅に精進していると「ああ、そんなものだったかな」で済ませるようになってきます。もちろん私も人間ですから、ふと思い出してはブラックな組織や人に対して思うところはありますが、今となっては路傍のゴミとか卵焼きに混ざっていた卵の殻のカケラとか、そんな程度です。それもいずれはなくなるでしょう。
何故日記を書かなくなったかというと、多分、禅をやっている内に過去を振り返ったりすることは禅定の妨げになると思ったのでしょう。この四行日記は簡単なので、子供にはいいかもしれません。息子にやらせてみようかなとも思いました。
聖書の隣人ではありませんが、家族だろうが他人だろうが、困り果てたときに同伴者であろうと努めてくれた人が隣人です。困り果てたときに傍観者でいる人には少なくとも救いを求めてはなりません。更に言えば困り果てたときに更なる追撃をしてくる人はこういう言い方が正しいかどうか分かりませんが、正真正銘の「敵」です。孫子でも聖書でも敵を愛せよ、と言っていますが、私は聖人君子ではありません。せいぜい沈黙を以て異を唱え、やむなきに至っては敵にも救いの手を差し伸べる、私にできる慈悲は今のところそんな程度です。もっとも敵という概念そのものを忘却できるほどになれればよいのですが、今のところ子供のために死ねないので、無防備でいることは難しいのです。
一旦最悪を経験すると、何にでも有難く感じるものです。これは大変喜ばしいことです。私は個人的に武道と禅を結びつける思想は好きではありません。正直反対です。私の場合は武道が(私の武道、と言えるかもしれませんが)思いの外ハイスペックではなかったので、やむなく禅にも助けを求めた次第(笑)。普通は武道をやっているから禅も、などとは考えない方がいいでしょう。
さらさらと
滞らぬが
佛なり
善きも悪しきも
凝るは鬼なり
このように参りたいと思います。
平成二十五年皐月十七日
不動庵 碧洲齋