不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

ブログ

初めてブログなるものに手を染めたのは2004年6月27日。意外にもまだ10年も書いていないことに驚きです。

最初のブログは楽天ブログでした。初めてのブログだったので色々調べましたが、当時はここが一番よかったように思います。

ネットデビューの内容は・・・

*********************************************

2004.06.27

彩時記 筆初め

世の古典に「歳時記」なるものがありますが、私はこの世に唯一、絶対性を持ち、無常に流れゆく「時」に、いかほどかの人の織り成す彩りを添えられればと思い、「彩時記」と命名しました。想うことがあるときは、ここにて拙言を綴るかと思います。

***********************************************

最初は「碧眼録」ではなく「彩時記」だったんですね。親バカなのか、第2回目からは早速息子ネタ(苦笑)

***********************************************

でんでん太鼓の事 2004.06.28

昨年生まれた我が子のために、でんでん太鼓を買った。近年はIT技術の驚異的な躍進によって、幼児用玩具にすら電子工学が十分活かされているのが現状だが、このでんでん太鼓を手にしてみると、なかなか古人の英知の高さがうかがい知れる。先ず、でんでん太鼓で上手く音を出すには、柄を上下させないように固定しつつ、手首のスナップが利かせなければならない、という高度な運動を必要とする。更にリズムもいる。慣れてくると柄の回転軸を微妙にずらして片方の玉だけを動かし、太鼓を打たせる事も可能だ。

武芸における手の動きにも通じるこの動きは、特筆すべきものがある。確かに現代の玩具はテクノロジーを駆使して、画面上に驚くほどのバーチャルリアリティーを再現する事ができるようになったが、反面、肉体は動きについては精緻さを失いつつあるようだ。古人の知恵と武芸の衰退はたぶん関連があるのだろう。もしかしたら精神にも影響しているのだろうか。

我が子は拙い動きながら、恐るべき速さで習得しつつある。赤ん坊にしては相当器用な手さばきででんでん太鼓を操っている。思うに、昔の人間は身体の動きに比例した頭の良さを持っていたのではないか。ともあれ子育てと、武芸に古人の知恵を改めて用いてみたいと思う。

**********************************************

ベストキッド2でも出てきましたが、イヤイヤ、でんでん太鼓を笑っちゃいけません。コイツの操作はなかなか難しいものです。だいたい日本では赤ちゃんとでんでん太鼓はセットでしょう(笑)。

楽天ブログは2007年1月8日まで続きました。

それから移行した先はmixi。元々mixiは自前甲冑仲間と連絡を取り合うために2004年末か2005年初頭頃に入りましたが、ブレイク直前ぐらいでしたでしょうか。それから時代祭の連絡が非常にスムーズになりました。

mixi最初のブログはというと・・・

***********************************************

2007/01/09

門のこと

今日は今年初めての宗家の稽古に参加した。

いつもながら「え?」「は?」「・・・」「分かりません」「俺は一度死んだ方がいいな」「俺は相当、痴れ者だな」「・・・俺には言葉が見つからぬ」と、大体こんな言葉のオンパレードが頭の中をBGMのように駆けめぐらせながらの稽古になる。

技については奥義故、お教えできぬのだが!(ウソウソ、文字で書いてもつまらないだけです)おもしろかった話しを一つ。

鬼門について。対峙する場合、当然共に鬼門となる方角が存在する。格闘の世界では当たり前。古風に言うとそれを「鬼門」と言う。風水とか色々なものでも使われる言葉だ。しかし宗家は「鬼門」にこそ活路を見いだせとおっしゃっていた。「鬼門」こそ「機門」であり、そこをくぐってこそ「生門(きもん)」なのだ、と。翻訳していた外国人(彼も結構日本語は理解できるはずだが)は残念ながら全然意味が分かっていなかったようだ。当然、多くの外国人は知る由もない。(ちょっとだけ優越感に浸ってしまった)もっとも日本人でもこの言葉の虚実を理解していた人が何人いたのだろうか。ともあれ今日は日本人でよかった。

戦力5が戦力10に囲まれたとする。中央に4、その左右に2、そしてその更に外側左右には1ずつ。その場合、鬼門は中央の敵になる。普通は一番弱いところから狙おうと思うのが人情。しかし実際は中央を叩くのが絶対に得策。セオリー通りに中央4と戦うと、戦力5は4割ダウンで相手の中央4を壊滅させることができる。(味方2乗-敵2乗=味方残り2乗という数式だ)

中央を撃滅すると左右はそれぞれ3ずつ。確かに倍する敵だが、ここからは心理作戦。勢いに乗ると押された側は倍する力でも、どっちが先にやられるかとビクついて、結局やられる。大したことでなくても、勢いが付くととてつもないパワーを発揮するものだ。勢いについて不朽の名作級の金言が「孫子・兵勢編」に書かれている。まさにこの通りだろう。「勢力」転じて「生力」と成せば、なかなか意義深いのではなかろうか。

「鬼門」と「生門」なるほど考えさせられた。

****************************************

今読み返すとなかなか興味深い。後で英訳してFBに上げてみるか・・・。

mixiは限定された人しか読まないので、割合安心していられる反面、外への広がりに欠けます。外国人との交流の割合が高まってきたので、mixiブログは2009年11月30日を以て終了、それ以後、この碧眼録に移りました。

この碧眼録はプロバイダーであるビッグローブが提供しているスペースですが、会員にはHPスペースとブログスペースがタダで提供されます。故にドメインもfudoanを取得できました。碧眼録という名前とドメイン名で気に入っていますので、しばらくは変更なしだと思います。

何かの記事にブログは自己満足だとありましたが、それは日記として捉えた場合にのみ、正しいと思います。ブログは不特定多数の友人たちへの近況報告であり、備忘録であり、目標達成の宣言書であり、よい記事ネタの宣伝であり、例えば子供への遺言にもなります。あと、犯罪に巻き込まれたときなどは、有力な証拠になるかも知れませんね。

日記とブログは違うと思います。世に出したくない人は別に出さなくてもいいし、出してみたい人は出せばよいと思います。私自身は他人のブログを読んで非常に参考になったことはしばしばあります。SNSに書くのとパブリックスペースに書くのとでは多少なりとも心がけが違うものですが、時折難癖が付けられることは仕方なし。悪ければ直し、相手に非があれば納得して頂くしかありません。

また、悪意ある固定観念や先入観、偏向した読み方をされたらこれも相手が悪いので仕方なし。例えば私の書いた記事は1000以上ある記事で、その中から10かそこらもない女性に関した記事だけを取り上げて「女ったらし」と言われたら苦笑せざるを得ません。そういう人は大抵、正否ではなく、単にケチを付けたいだけなのです。もちろん、悪いことは直すべきですけどね。世の中色々な人がいると言うことで。

ふと自分のブログを振り返ってみました。

平成二十五年皐月十七日

不動庵 碧洲齋