不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

何のための勉強か

今朝、息子と食事をしていたら「何で勉強をするの?」と聞かれました。

こういう問いは(どういう問いもですが)決していい加減に答えてはいけない類の問いです。

まあ、息子は「たそがれ清兵衛」で長女のかやのさんが清兵衛に言った質問のマネをしたというのもあるのですが、こんなときこそ親の本領発揮というものです。

「何か人が夢見たもの、想像したものをかたちにするために勉強をする」

「どんな?」

「宇宙船や飛行機、車やコンピュータなどは勉強した人ではないと決して作ることはできない」

「じゃあなんでそういうものを作らないといけないの?」

「他の動物にはできないことを人がする。他の動物にはできないことを人がする」

「なんでそうしなきゃいけないの?」

「それは多分、何で鳥は飛ぶの、とか、何で魚は泳ぐの、とか、そう言うレベルだな。生き物には全て生まれついてすべき事があり、特に人はそれを見つけてそれを目指すことが生きるという意味だと思う。世の中には何をするべきなのか見つからないままに死んでしまう人もいれば、それが分かっても、目的を果たせずに死ぬ人もいる。他の動物はそんなことを考えずに生きている。目的を知ることが幸せなのかどうなのか、俺にも分からない」

「・・・」

「まあ、これは俺が考えた理由だから、他にもあるかも知れない。それは自分で考えてみてくれ」

納得してくれたのかどうか。

勉強をしなさいとは私は言いません。

それは言い換えると「車に乗りなさい」と行っているようなもの。

大事なことは「どこに行きたいですか」という問いのような気がします。

移動手段なら徒歩、自転車、バイク、バス、電車、飛行機、船色々あります。

車である必要はないのです。

息子は勉強が比較的好きで、成績も私が小学校4年生の時に比べたら天地ほどの差があります。

私は武芸や禅、もしくはロシア語の勉強をしているところを息子に黙って見せています。自分が誰かに対して促すことを言うよりも、自身で必要性に気付かせ、興味を持たせ、実行させる、これが真の教育ではなかろうかと思うのです。

なにも高等なことではありません。他の動物の親がやっていることを真似ただけです。

子供に「○○しなさい!」とゴリ押しするのは、時々は必要かも知れませんが、言わずしてそれをさせることが一番です。

勉強は自分自身の夢を実現させるために必要な道具、もしくは材料だと認識できたら、自然にやるものだと心得ています。現実に息子はそうしてます。普通に宇宙飛行士になるためには基礎的な勉強、英語や外国語、水泳が必要であることを知っていますので、どれにも真剣に取り組んでいます。宇宙科学については私も好きですから答えてやったり、分からなかったら一緒に調べたりします。今のところはそれだけで十分です。

うちの子は勉強しないと悩んでいる親がいたら、それは多分、行き先を知らされていない、行くための手段を提示していない、もしくはその為に親が協力的でない、関心を持っていないなどが問題ではないでしょうか。子供は親の信頼を感じて初めて自信を持って何をかするものです。

平成二十五年卯月十八日

不動庵 碧洲齋