不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

自我と自分の存在に思うこと

自我というものは布にたまたまできた、ほつれのようなもの。それ以上では全くない。

師匠がよく言う、自我の在り方です。

私は良く「本当は自分なんかいない」と言いますが、それはなにも自己否定しろとか、自分の存在を無視しろとか、そういう意味で言っているわけではありません。

そんなことしたら人格崩壊してしまいます。

誰が為の自分なのか。そんな意味だと思うのです。

先日、息子が大切に可愛がっていたハムスターのガンバが短い一生を終えてしまいました。私もさすがに泣けてきましたが、そんなとき、私は生き物の存在意義を考えるようにしています。ガンバに限って言えば、手の平に乗る程の小さな命は、息子に命の大切さ、命を慈しむことの大切さを教えるためだけに仏の世界からやってきたのだと思っています。それだけのための数ヶ月間の命とは嘆かわしいとか、可哀想すぎるというのは私たち人間の物差しです。仏の世界、大自然の摂理は人間如きの物差しでは動いていません。

何かは何かのために存在していると思っています。「なに」の代わりに「誰」でも構いません。自分のために自分は存在し得ないと言うだけです。自分で自分を生んだ人がいないのと同じ。自ら自らを作った機械がないのと同じです。誰か何かがそれを意識的、無意識的に必要としたから存在し得ただけです。他に感謝せねばならぬ故はまさにそこにあると思うのです。

私に限って言えば、私の存在意義の全ては息子を無事にそしてなるべく世の中に役立つように世に送り出すため、それだけのためにあると思っています。武芸や禅は趣味ですが、それらや今まで得てきた経験や知識の全ては息子に注ぎ込まれます。二義的に自分のためになることも、全部は次の世代、子供のためです。私の母方の祖父は命を削って日本のために死にました。父方の祖父は相当金持ちだったにもかかわらず、なかなか優秀だった父が、大学に行く代わりにできたばかりの自衛隊に入ると言っても反対しませんでした。また、台東区の通称サンヤと呼ばれる辺りの出身の母と結婚すると言っても喜んでくれたそうです。サンヤ(山谷)とは、日雇い労働者ばかりが住む、非常に貧しい地域でした。母の家は靴を作っていましたが、例に漏れず貧しかったそうです。私はどちらの祖父にも会ったことがありません。が、母方の祖父からは命を投げ出すことの尊さ、家族や国を守ることの尊さを教えられました。父方の祖父からは差別をしないこと、偏見を持たぬこと、金銭の有限性を教えられました。父方の祖父の形見には教育勅語の掛け軸があります。自分が自分がというエゴイズムとは正反対の方だったのだと想像します。

愚かなことに、私は両親が死んでから、いかに両親が偉大だったかを知りました。父は全く平凡でしたが、大きい会社を勤め上げ、母が死んだ翌日から普通に食事を作ってくれたり、家事をしていました。母は周囲から非常に人望のある人で、努力家でした。どちらも私を育てるためにできる限りのことをしてくれました。だから私も息子にそうします。

祖父母や両親は死んでいる、生きている、という区別なくして間違いなく「います」。「いる」ということにおいては、生死などは大した問題ではありません。私は彼らの志を受け継いでいて、それを今度は息子に注ぎ込んでいます。注ぎ込まれ、注ぎ込む、もし自分というものがあるとしても、せいぜいそんなものではないかと思います。祖父母や両親が「いる」のは私が彼らの志を受け継いで、それを息子に注ぎ込んでいるから。そして私がいたことになるのは、息子を始め、多くの友人たちが私を覚えてくれているから。自分で自分を認識するのではありません。そもそも自分で自分を直接見ることはできないのですから、それは意味がありません。IDカードの表記や他の人がそう思い込んでいるからいると思い込んでいるだけです。エゴイストが滑稽に見えるのはその為です。

自分のため、自分だけのため、自他を分け隔てる人、そう言う人は自己完結型で、社会性の生き物とは別です。そういう意味では人間は常に「自己」があるという幻想とも戦わねばならない、苦しい存在なのかも知れません。私はその考えがある程度捨てられるようになってきてからは本当に楽になりました。また、自分がすべき事も見えるようになってきました。

私も人の親ですから、息子にとって意義のある存在になるため、より自我を捨てて無心で為すべき事を粛々と行って参りたいと思います。

平成二十五年卯月十七日

不動庵 碧洲齋