愚者は、すぐに怒りを表す、しかし賢者は、辱めをも気にしない。
剣を以って刺すように、みだりに言葉を出す者がある、
しかし知恵ある人の舌は人を癒す。
怒り易い者は愚かな事を行い、賢い者は忍耐強い。
怒りを遅くする者は大いなる悟りがあり、気の短い者は愚かさを表す。
堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思へ
徳川家康 遺訓
何に怒りを感じるかによって、その人の志の在りかを知ることができる。
95/12/17 碧洲齋
旧約聖書の言葉は私のサイトでも紹介されています。
仏教でも怒りについてはよく取り上げられています。
怒ることが身体や精神に悪影響を及ぼすことはよく知られていますが、なかなかどうして、こやつを押さえ込む方法は難しいのが現実です。
たまには怒った方が精神衛生上、よい場合もあるようですが、武芸者としては核兵器の使用手順と等しいくらいに何重にもロックしておかねばならないと思っています。
キケンだからとか、不道徳だからとか色々ありますが、私は単純に負けたくないからです。
怒ると人は弱いものです。多分、日頃の実力の良くても4割、悪いと2割ぐらいでしょうか。
弱いというか脆いというのが実感です。
20代後半から怒りに満ちた人とやり合った経験はあまりないですが、その経験でもやはり怒りの感情があった人には楽勝だった気がします。
相手の読みを間違える、注意力不足、動きが単調、などなど、怒りに満ちた武芸はもはや単なる暴力です。
そういう格好悪い負け方をしたくないので、怒りに遅くしているだけです。
ここ数年は、この怒りを上手くコントロールできるかも知れない光明が差してきました。
簡単に言うと自我を消失させる。
この自我が怒りの小さな種になっていることしばしば。
だからこいつをなくすように努めればよいのです。
このデカいと勘違いしているちっこいやつが、怒りの点火剤になっているのです。
それをなくしてなお怒りを感じたらそれはやはり怒って然りの時です。
私だって、悪意ある理不尽さがぶつけられたときは決然と怒りますが、そういうときは例外的に精神的に強いままです。
ともあれ怒っていいことはあまりありません。
多分、損することが多いようです。(少なくとも日本では)
この辺り、よくよく噛みしめていきたいところです。
平成二十五年弥生十三日
不動庵 碧洲齋