不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

時間は「ない」

今朝は早朝から妻が日帰りで実家に戻ったので、息子と二人で朝食を取りました。

(ま、元々いつも朝食は二人ですけどね)

生物の寿命の話になりました。

人は大体80年、ハムスターは2年、長い短いと言っていたのですが、そのうち息子はどうも2年という長さに疑問を呈しました。

「本当にガンバ(うちのネズの名前)は2年が短いって思っているのかな?」

「多分思ってないな。」

「なんで?」

「何でだと思う?」

「う~ん、ガンバには『今』しかないから」

・・・何でそんな簡単に分かっちゃうんだよ・・・

「そうだな、人間は生まれてから何年経った、とか、死ぬまで後何年ぐらい、とか考えて過ぎてしまったことやまだ起きていないことに心を悩ませているんだな。」

「やっぱりそうだと思ったよ。ガンバは『今』しかないから時間を持っていないんだよね。」

私たちは時計を見ながら、カレンダーを見ながら、他人を見ながら、過去を見ながら、未来を想像しながらあたふたします。でも本来の自分はそこではありません。そういう諸々を取り去ったところに本当の自分があります。多分。

人類学か何かの本に書いてあったのですが、猿か人か峻別する目安として、食料や道具を貯蔵、保管するかしないかという点が上げられます。貯蔵したり保管したりする場合は、その生物は明らかに過去の経験を参考にして、まだ発生しない未来の事柄を予測して備える、つまり時間の概念を理解して利用しています。

自他を分ける、アダムとイブが裸であることを知ってしまった瞬間のあれです。あれが起きてしまったのがヒト、起きていないのが動物です。思うにそれが発生する以前に戻る試みが禅でではなかろうかと私なりに思っています。

「今この瞬間を一生懸命に生きることでしか、未来はよくならない。過ぎたことを悔やんでも、未来を楽観してもだめ。今をちゃんと生きることが一番だ。」

息子が易々と回答してしまったので、何とも陳腐な台詞になってしまいましたが、色々思ったこともあったようです。

そう思うと日々の生活もちょっといいものに見えてきませんか?

平成二十五年弥生朔日

不動庵 碧洲齋