不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

そんな事は小学校3年生で学んだことだ

本日は同志エル参斗之介殿を拙宅に招いて、卯月二十八日、滝之城にて行われる寸劇の練習をしました。

参斗之介殿とは色々な面で良く気が合い、昨今徒然思うことなどをよく話します。

久しぶりに自宅の武器庫を開放し、いくつあるのか分からないほど増えてしまった武器たちを並べました。

中には珍しい武器もあるので、参斗之介殿は写真を撮ったり持ってみたり。

個人的には武器を持ったときにその思い出が呼び起こされます。

思えば今月で武門を叩いてから27年の歳月が経ちました。

正直に言って、嗤ってしまうほどしか進歩しか感じられません。

目指すものが高すぎるのか、己の努力が足りないのか。

両方ではないかと思います。

参斗之介殿と武器を持って近所の公園にて稽古をしました。

相手は元自衛官の猛者、銃剣道で鍛え上げられた肉体はパワーが違います。

槍をかち合わせている内にあろうことか、愛用の朱槍の穂先が折れて吹っ飛んでしまいました。

この木槍は20年間使い続けてきた、愛用の槍でした。

元々稽古用でしたが、「のぼうの城」で知られる忍城の祭りのために、数年前から朱槍として、朱色になりました。忍城にて朱槍を振るい、城を守り、戦後に臨済宗の寺を建立した正木丹波は私が尊敬して止まない侍の一人です。

実はすでに穂の根本にわずかにひびが入っていたのは知っていたのですが・・・。

折れて吹っ飛んでいったのは分かりましたが、意識が稽古に坐ったままであることが分かりました。

折れた槍を見ても大した感慨もなし。心が透明なままにすっと動かなかった観があります。

息子が「折れちゃったね。どうするの?」と聞いてきたので、「形あるものはすべていつか必ず形を失う。この槍も同じだ。驚く事じゃない。」と答えると、息子はこともなげに「ああ、そうだったね。形があるものはいつかなくなっちゃうんだよね。」と返してきました。

参斗之介殿は大変恐縮していましたが、実はそのとき、長年愛用の武器にすら心が執着せずいられたこと、そして息子も私が言ったことをとても良く理解していたことに感動していました。息子が魂のレベルでそれを悟ったことが以心伝心で分かりました。それに比べたら槍が折れたことなど、全く大したことではありません。

私が小学校3年生ぐらいの時、「銀河鉄道999」がテレビで放送されていました星野鉄郎は永遠の命と限りある命の狭間で悩みます。どうして永遠の命はいけないのか?どうして限りある命が尊いのか。メーテルや登場人物が繰り返し言っていました。

「形あるものはいつか必ずその形を失う。永遠に続くものはない。」思えば私の世代はそんな程度の理屈は小学校低学年で学んでいました。宇宙戦艦ヤマトも海賊船アルカディア号も地球のために苦しい戦いを強いられていました。星野鉄郎は殺された母親の分まで長生きするために苦悩の旅に出ました。

その頃のテレビアニメの主人公は「誰かのため」に戦っていました。そして何度も死線をくぐり抜け、人がどんどん殺されます。10歳の少年もガンガン殺しました。大変失礼ですが、ポケモンのサトシ少年は自分のためです。死ぬ人もいません。残念ですが、比べるもの失礼なくらい、次元が違います。

槍の話しでした。

武器だから壊れます。壊れたら直します。直らなくなったら感謝して捨てる。それ以上でもなく、それ以下でもありません。諸行無常という真理が息子の心にすでに刻まれている事実を確認できた代金として、20年来の槍が壊れたことは安すぎる対価だと思いました。

滝之城では観客の皆様が納得していただけるものをお見せできればと考えております。

平成二十五年如月九日

不動庵 碧洲齋