不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

東海寺と沢庵禅師

13日の金曜日と言えばジェイソンですが、個人的にホラー映画とは関係ないジェイソンという名前にいや~な思い出があるので、こういう日は気分がよろしくありません。 13日は所用があり、珍しく港区まで。用事を終えると品川区にある臨済宗東海寺に行ってきました。 東海寺といえばかの沢庵禅師が住職されていたお寺です。 京急新馬場駅で降りて歩くこと5分。のっぽの真新しいマンションを背にしたところに東海寺はありました。
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かの沢庵禅師が住職していた割には妙に小さいな、と思っていましたがそれもそのはず、明治以前は今の敷地よりもずっと広大な境内でした。東側は京急の線路の向こう側ぐらいまで、西側は東海道新幹線の線路辺りまで、南側は都営南品川アパートぐらいまで、北側は品川神社ぐらいまであったそうです。何で知っているのかというと、ちょうど、都立大学のオープンカレッジのツアーのようなもので高齢者達が団体で寺にやってきて、学芸員とおぼしき人が説明していたのを聞けたからです。そもそも今の東海寺は東海寺境内にあった寺院群の一つ(といっても高貴な方が建立したものですけど)で、明治に入ってしばらくして、本堂などが取りつぶされた折に東海寺という寺名をその寺が継いだそうです。だから元々の東海寺ではないのです。なぁ~んだ、ちょっと残念。幸い、貴重な寺宝はほとんど無事で、折々に一般公開されることもあるそうです。
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同じ学芸員のお姉さんは親切に色々教えてくれたのですが、ツアー係のじいさんは、たまたま同じ方向にある沢庵禅師の墓に向かう私にやってくるなり「このツアーはお金を払って参加してもらっているんですけどね」と文句を言われた。そんな事言っても東海寺で鉢合わせたのはたまたまだし、次の目的もたまたま同じなんだから仕方ないじゃん。お釈迦様も沢庵禅師もアンタみたいに了見の狭いことは言わないと思うよ、と内心思いつつ、「たまたま聞こえてしまったものですから・・・私もこれから沢庵禅師の墓に行くつもりなんですが、じゃまですかねぇ?」というと、何も言わず離れていきました。やはり13日の金曜日だけのことはあるな、うんうん。 ということで、昔は同じ境内にあり、今は飛び地になってしまった墓地へGO。
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飛び地の墓地は恐るべき事に京浜東北線東海道新幹線がちょうど分岐している間にあり、騒がしいです。沢庵禅師の墓のすぐ真後ろに新幹線が走っています。そして正面には京浜東北線が走っています。沢庵禅師おいたわしや~。葬式も墓地も作ってはならぬ、と沢庵禅師が厳しく言った割には弟子達が勝手に作ってしまっていますが、さすがに気兼ねしてか、超著名人の割には地味な墓地だと感じました。もちろんきれいに掃除はされてますけどね。墓地の入り口には茶筅塚や千利休追悼碑もあることから、沢庵禅師は本当に茶道を初め、このような雅やかなことにも造詣が深かったのだと想像します。
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茶筅
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千利休追悼(遠)塔
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沢庵禅師の墓所 本人は止むに止まれぬ事情で、いやいやながら徳川家光に仕えましたが、側近や大名達が言えないことをズバズバ言い、仏教界の主張すべき事はきちっと言う辺り、さすがだと思いました。私もあのくらいズバズバ言ってみたい。あ、家人にもひとり、そういうのがいますね(爆)。 東海寺では坐禅会もやっているので、そのうち行ってみたいところです。 ちなみに東海寺では沢庵禅師に敬意を表して漬け物の沢庵を「たくあん」とは言わず「百本」と言うそうです。 帰路、神保町で沢庵禅師の逸話集を買いましたが、改めて沢庵禅師の偉大さを偲ぶのでした。 平成二十四年文月十七日 不動庵 碧洲齋