不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

飢餓の耐性

戦時中や戦後間もない頃は餓えで死ぬ人がいました。

それでも今のアフリカなどに比べるとずっと少ないように思いますが、ともかく日本にも食料が十分でなかった時期がありました。

現代に於いて日本はモノが豊かな国の代名詞と世界的には言えそうです。

心が豊かどうか分かりませんが、とりあえず世界的には日本人は善良な民族と分類されています。

中国の諺に「衣食足りて礼節を知る」というものがありますが、確かにそれらが足りない状態で礼節を守らせるのは難しいかも知れません。

問題は一体どの程度まで足らせるか。

中国の管子だったと思いますが、海の終わりは水がなくなるところ、欲の終わりは欲がなくなるところ、などと、ある意味人間にとって絶望的な言葉を残しています。

うまいものを食べる、たらふく食べる、これは人類が営々と努力してきた課題ですが、近年ではそれらですら過ぎれば返って健康を害することが知られています。

もっともまだまだ飢えている人は世界中にいますから、そんな贅沢すぎる命題はある意味、先進国の傲りでもあります。

ここ2ヶ月ほど、食事のスタイルを変えてみました。

朝食は息子と同じぐらいに少なく、昼食は抜いて、夕食は普通程度。

昼食はカップスープ程度を飲むこともあります。

歳のせいもありますが、これが意外にうまく行っています。

今までと比べてトータルのカロリーは結構減ったと思います。

まず体重が4.5キロ減りました。

夕飯が近くなると軽い空腹感がどんどん湧いてくるので、食事はどんなものでも美味しく食べられます。

家人にはあれはマズイこれもマズイという向きもありますが、私からすればたとえカップラーメンでも美味しく感じます。そしてこれは元からですが残しません。

ま、休日などは昼は軽く食べるか、朝食をほとんど食べないようにしますけどね。

こういうライフスタイルが健康によいのかどうか分かりませんが、たとえばイスラム教徒のラマダンなどはもう何百年も行われています。宗教的にでも飢餓をする体験があれば、きっと食べ物に対するありがたみが湧いてくると思います。

食べ物の廃棄率が高いとされる日本で、食べ物をありがたく頂くためには、やはり何か一工夫が必要ですね。

平成二十四年文月十二日

不動庵 碧洲齋