不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

いじめに思うこと

私は小学校4年生ぐらいから中学3年生ぐらいまではよくいじめられました。

小学校4年生の時に現在の住所に引っ越し、新しい小学校に入ったとたん、いじめる連中が現れました。4.5年生の時はいじめる人と仲がよい人と半々ぐらいでしたが。

5年生の時、女子生徒集団で担任に反抗し、男子生徒もそれに同調する感じでしたが、少々ウトかった私は時々先生に対する嫌がらせ計画を忘れたりして、それが元で少しいじめにあったことがありました。

最高にいやだったのが6年生の時。クラスの番長格の生徒と何かSFに関する話しをした折、光線銃?レーザー銃?みたいのを作りたくてレンズで集光して色々試したけどうまく行かなかった、という話しがどこでどう曲解されたのか、それを作り上げたとか言う話しになり、嘘つきとかなんとか、反論の余地を与えられないほどに熾烈にいじめられました。担任は比較的優れた教師だったのですが、それでもこの件に関しては全く無力でした。学校教師の限界はこんなものだと思ったものです。

当時ちょうど「機動戦士ガンダム」が一世風靡し、プラモデルが大いに流行しました。私は小学校に入る前からプラモデル作りが好きだったので、なかなかの技量だったのですが、学校でいじめるか距離を置いていたクラスメートが人目を忍んでプラモデルを持って家にやって来ました。嬉しいと思った反面、人間の卑屈さや心の弱さをハッキリと感じたものです。もっともかなりひどいイジメでも今のように死にたいとは思いませんでした。親も1.2回ほど担任に相談したようでしたが全く効果無し。子供ながらに効果に期待をしていなかったように思います。

中学校に入って半年ほどした時、学年でも指折りの問題女生徒2名、しかも私の班で掃除をせずに遊んでいたのを見かねて平手打ちにしました。それまで何度も注意してきたので手を挙げたのですが、色づき始めた男子生徒は女生徒に味方しやはり孤立(笑)。

2年生ではいじめられることはなかったのですが、うちの中学校は吹奏楽部を除き運動部でない人間は人間ではないという風潮があり、同じミリヲタ/プラモデル仲間は狼の群れに放り込まれた羊のように、恐々としながら肩を寄せ合って生き抜いた気がします。(笑)

3年生の時、多少色黒でイジメに遭っていた同級生をかばい、攻撃対象になってしまいました。これは6年生以来の熾烈さでした。比較的温和しそうに思っていた女生徒が、私の机を足蹴にしているところにも出くわしました。もちろん、さすがに中学3年生にもなると、そういうことには絶対に同調しない良識を持つ生徒もいましたが。いずれにしても多勢に無勢、勝ち目はありませんししょっちゅう暴力も振るわれました。

うちの中学校は柔道がかなり強く、しかも3年間体育を担当した先生は柔道部の顧問でした。私は全く運動部向きではありませんでしたが、柔道の授業は結構楽しかったように思います。また、センスもあったのか、よく勝てました。先生も1年生の終わりぐらいまで時々、柔道部に誘ってくれました。結局入りませんでしたが。

多分、武道とか格闘技に興味を持ったのはこの頃です。「北斗の拳」を読んで「いいなぁ~」ではなく「こうなりたいなぁ~」に変わったような感じでした。

高校に入ると格闘技好きの友人と知り合い、半年以上公園などでトレーニングを重ねました。今思うと普通の運動部以上の練習量だったかもしれません。また読書量もハンパなく、多分1日少なくとも1.5冊は読んでいました。(マンガ・小説ではない)そして趣味が興じて武門に入った次第です。

高校になってから登下校中に時折、私をよくイジメていた元同級生達とまれに遭遇したりもしましたが、大抵は何か察したのか、そそくさと逃げるように去っていきました。あの手の輩は自分の身の危険を察する能力だけは抜群にあります。機会があったら死ぬほど怖い目に遭わせてやろうかと思っていましたが、武道を始めるとそういう考えも消えてなくなります。愚劣な連中に拳を使うと我が身が汚れる、という感じになりました。

時代の風潮でしょうか、当時はイジメで自殺する人は少なかったように思います。そして今以上にイジメには学校は無力だった気がします。また学校にはそういうことの解決を全く期待もしていませんでした。

先日、たまたま息子の下駄箱に何かいたずらされたらしいのですが、学校の担任から速攻電話があり、学校全部に連絡して担任同士で連絡を取り合い、注意しますと言ってきました。オイオイやり過ぎだろうが、って思いました。結局、何のことはない、単なるいたずらだったようです。そのやり方が悪いとは言いませんが、私的にはどうにも問題を解決しようというためではなく、責任を逃れようという感じを受けました。もちろん先生達には誠意はあったのでしょうが。

先生の能力とかではなく、ひとえに先生や保護者たちの正義の在り方、道徳の高さにかかっていると思います。学校の先生の指導力が低いことはある程度はやむを得ないような気がします。しかし悪いことは許せない、見逃せないといった心が低いように思います。そしてそういう心こそが世界で賞賛されている日本の正体ではないかと思うのです。これがなくなったらいくらいい車、製品を作っても、素晴らしい文化を持っていても、世界からは見向きもされない「東アジアの1国」に成り下がってしまうと思います。

ここはひとつ、日本が中国や韓国とは一頭抜きん出ている理由をよくよく思い返し、日本人として恥ずべき事は慎むようにしていきたいところです。

平成二十四年文月六日

不動庵 碧洲齋