不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

あの日のこと

毎週1回程度、私は稽古に行く途中に市民病院の前を車で通ります。

そこは何を隠そう、父と生前に最後に会ったところです。

車で通りすぎると、ちょうど救急患者の搬入口が見えるのですが、あの日、私は車を地下駐車場に移動する為、まさに父を車からその場所に降ろして職員に托しました。

その時は父は自分で立って車椅子に乗り換えられる程度だったので、大丈夫だろうと思っていましたが、心臓が口から飛び出し、悪魔に鷲掴みにされるような気分でした。

父が私の視界から消える直前、その姿がとても孤独で寂しく思えました。

今でも昨日のことのように目に焼き付いています。

車を地下駐車場に停めて、エレベーターで上に上がろうとしたのですが、その時に限ってなかなかエレベーターがやってこず、かなりイライラした記憶があります。

一度、エレベーターのドアを思い切り拳で叩いた気がするのですが、全く痛みを感じなかった気がします。

いつの間にか救急処置室前の椅子に座ったのですが、エレベーターからそこに行くまでの記憶がありません。

椅子に座ってからは不安に押し潰されそうな気分で当流の祝詞や不動真言を繰り返し狂ったように呟いていたと思います。

その日の昼に私は仕事でドイツから戻ってきたばかりでしたので、時差ぼけの為何か悪い夢でも見ている気がしました。

人生の中で多分最大の悪夢だったと思います。

医者が出てきた時、既に答えは分かっていましたが、自分の意志とは全く関係なく、恐ろしく冷静に対応して家族に連絡し、事務手続きをしてから帰宅しましたが、今になって不思議に思うのは、時々その様子が外側から見えていたような気がしたことです。

もう5年になりますが、多分これは死ぬまで忘れることはないと思います。

もちろん、その時励ましてくれたり、労ってくれた友人たちの恩も一生忘れません。

こういう時にこそ、私の隣人が誰なのか、分かるというものです。

近くても遠い人、遠くても近い人、色々な人がいることが分かりました。

私には存外に隣人が多いことに、改めて驚き感謝したものです。

そんな思い出のある場所を毎週通らねばならないことに、最初は気分が悪いものでしたが、ここ1.2年は何かハッキリと命題のようなものを感じます。

何がどうというものでもないのですが、もやもやがどんどん薄れてきているような気もします。

これは私に与えられた公案だとも思っています。

嬉しいことに息子も一緒になって考えてくれています。

私が死ぬまでには多分解けるのではないかとすら思ってしまいます。

親は子供より早く死にます。いつか分からないその日は必ずやってきますし、子が親より先に死ぬよりは遙かにましなことですが、何も孝行できなかった自分には悔やみきれぬものがありました。

とは申せ、今はありがたくも仏の教えによって、色々森羅万象の諸々が分かってき始めた次第です。

平成二十四年皐月十一日

不動庵 碧洲齋