不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

独り稽古

昨夜は門弟が誰も来なかったので、久しぶりに独り稽古に励みました。

久々に行った、立派な施設内での独り稽古。

贅沢な時間とはこんな事を言うのでしょう。

指南すると言うことはその人に合せねばなりません。

指南することで得ることはもちろん少なからず為になりますが、本筋ではありません。

故に、入力出力共に均衡が取れていないといけないわけですが、その辺り、武芸の指南者たちが苦しんでいるところでもあります。

また、指南している時は、個人的にあまり確信が持てないことは言ったりしたりしませんが、独り稽古の時は日頃自分が疑問に思ったり、確信できないことを思う存分試せます。

特に施設内での稽古ではそれだけに集中できるという利点があります。

昨日はまず、基本の歩行法、歩型、突き、五行の型。

私のところでは体術の歩行を重視します。

歩型は中国拳法の基本の歩型のうち、いくつかをやります。

まあ、これは何となく利くなと思ったので。

突きも重視します。体術の動きが向上します。

五行の型の前までで、すでに20分ほどかけましたが、ここまでですでに結構脚に来ました(笑)。

五行の型とは地水火風空と名付けられた、5つの基本動作ですが、昨日は思うところあって、それぞれじっくりと練りました。

一つに付き10分以上やったでしょうか。

3つ目ぐらいの時には足腰がかなりヤバかったです。

休み休みやっていたはずですが、5つ終わった時にはしばらく立てませんでした。

言いたくありませんが歳なんでしょうか!

しばらく休んでから木刀と脇差しを少し。

今、少々右腕を痛めているので、刀はさすがに無理がありましたが、久しぶりに脇差しを使った感じはとても爽快?でした。

その昔、宗家の稽古で槍と小太刀の組み合わせでやっていたことがあります。

その時は「?」でしたが、今は理由が分かるような気がします。

当流の体術と脇差しは多分相性はいいですね。

20時過ぎ、体力的に脚が限界にきてたので止めました。

稽古時間は都合1時間半程度。(情けない)

ゆっくりと着替えて帰路につきましたが、階段の上り下りで何度もコケそうになりました。

弟子たちに昨日のをやらせたら、まあ30分とかからずにアウトですな(爆)。

私が一人で稽古をする場合は量よりも質を重視することが多いです。

質を落とさないように精度を上げるには疲れないように稽古するのが普通なのですが、昨日は初めから飛ばしすぎていた感あり。

昨日、稽古して思い付いたのは「動中の静、静中の動」。

武道、特に空手や茶道でも使われている言葉のようですが、体術の動きもまた、そんなものかと思った次第。

更に付け加えて言うなら、「動中の動、静中の静」もあるだろうと感じました。

この四つを幽玄機妙に駆使することは多分、武芸の奥義に近いものではないのでしょうか。

武芸で出藍の誉れにあずかりたかったら、師より指南されたことを十全にこなした上で、独り稽古において更なる創意工夫が必要だと思っています。

流派や人によっては「そんなの外道だ」とか「道を外せるほど、創意工夫できるほどキサマはエラいんか?」と言われる場合もありますが、大自然の在り方を見るに、固定されるよりは変化する方が常態のようですので、取りあえず私は「守破離」の如く、一歩進む姿勢が正しいように感じている次第です。

昨日の独り稽古で少し感じたことを、次回は門弟に伝えたいと思います。

平成二十四年卯月十二日

不動庵 碧洲齋