不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

和号と庵号と武号

もう10年近く続いている習慣なのですが、外国人門下生と交流が多い私は、時折、親しく友誼を結んだ武友に限って、名前を贈ることがあります。お金はかかりませんし、世界にたった一つですので、もらった方はことのほか喜んで頂けることが多いようです。

お金はかかりませんが、やはりその人の立ち居振る舞い、バックグラウンド、国柄、人柄、志、こういうことを会話の中から拾っていかねばなりませんから、やはり親しくならないとできないわけです。もっとも親しくとも閃かない場合もあります。

名前は3種類あります。

一つは和号、例えばその人の名前の音を漢字にしたり、音とは関係なく、その人の人となりを名前にします。両方同時に付ける場合もあります。外国人もこれが一番好きなようですが、いかんせん漢字の知識が日本人よりは深くないので、へんてこな名前を付け方を頻繁に見ます。多分、最初にそれを見た時、おかしかったのと可哀想だと思ったからこのようなことを始めたのだと思います。

ちょっと一例をば

音を漢字にしたもの

御礼倶(オレグ):ロシア人の友人ですが、非常に礼儀正しく、好感の持てる友人なのでこのようにしました。

音とは関係ないもの

回志(さとし):本人は真摯なイスラム教徒で、非常に素晴らしい志の持ち主なのでこのようにしました。(イスラム教は回教と言います)

両方併せたもの

久里流 杜陽(クリル もりあき):米国人です。クリルは本名の家族名ですが、幕末に日本人が初めて米国人と接触した久里浜から取りました。流は武道をするために日本に流れ着いた、という意味です。杜陽は以前、神社に行った時に社杜の中で木漏れ日が非常に美しかったと感想を述べていたので、杜陽にしました。

次の庵号は簡単に言うと道場名です。人によってはファミリーネームを道場名にする人もいますが、更に本格的な名前を求めたり、あげたりしたい場合は贈ったりします。庵にこだわるのは、小さい道場、ビジネスライクな道場でないこと、武芸とは密かに隠れてすること、といった意味合いです。昔から、やはり優れた武芸者が開いた道場、優れた禅僧が開いた寺には庵が付いていることが多いようです。

白露庵(はくろあん):既出のロシア人の友人に贈ったもの。白も露もロシアをイメージさせます。また彼は禅もよくやるのですが、白露は仏教の教えにもたびたび出てくる言葉です。

臥龍庵(がりゅうあん):臥龍は文字通り嵐を待って伏せている龍です。まもなく帰国する米国人同門のために作りました。いつも物静かに稽古に励んでいたので、記念として。

最後は武号です。時代劇にも出てきますが、ナントカ齋というやつです。齋は隠居した武芸者が号するものらしいですが、隠居しなくても号していた人もいましたので、必ず使うわけではありませんが、齋をよく使います。

隠龍齋(先の米国人同門に)

玄楓齋(帰国したカナダ人同門に)

ま、他にも色々ありますが、こんな感じに付けます。

これだけでは寂しいので、大抵は私の作った駄句を添えています。

駄句ながら、ちゃんと決まりがあって、なるべく贈った号に使った漢字を取り混ぜたり、その人の志や人柄を詠む内容にしています。この辺りはさすがにプロでもないし、センスがあるわけでもないので、満足したことも、悦に浸ったりしたこともないのですが、取りあえず全く知らない日本人が見ても恥を掻かないように、という思いと、まずはともあれ友人に対する真心でしょうか。これを重視しています。

これは紹介するほどのものではないので(笑)省略します。

これらを紙に書き、自分の名前と花押を記し、自分の武号の印鑑を押します。

もちろん別紙に英語でその意味などを書き、それを贈るわけです。

こういうものを贈っていると、自然、日本人の在り方などが感じられるようになってきます。

平成二十四年卯月十七日

不動庵 碧洲齋