不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

勤労の尊さ

私の両親は私が小学校1年になる頃から共働きでした。

父は大手の映画会社に勤務しており、母は別に働く必要はなかったのですが、母は私が手を離れたらどうしても働きたかったと言っていました。

母は母子家庭で育ち、5人兄弟の2番目でした。

長女、次女、長男の父(私の祖父)はサイパン増援部隊を輸送する輸送船団の乗組員として、サイパン島近海にて戦死しました。

三女は東京大空襲で両親をなくした戦災孤児だったそうです。近所に住んでいて、身寄りがなかったので預かったそうです。その時は既に祖父は戦死したと通知があったようなのですが・・・。

5番目の次男は非常に裕福な2番目の夫と再婚してできた子供でしたが、別の女を作って逃げていったそうです。

故に母の家庭は非常に貧しく、母が中学校を出る頃(昭和30年)まで、ほとんど白米が食べられなかったそうです。

また、長女(叔母)と母は高校に行けませんでした。(専門学校には行きました)

よく語ってくれたことは、中学校を出るまで、いつも祖母が作った下駄や草履の鼻緒を浅草駅にあった松屋の問屋に朝の登校前に持っていかねばならなかったこと。大人用の自転車の後ろに箱いっぱいに積んで、時々倒したりもしたそうです。そのおかげで家のほぼ隣にある学校にもかかわらずしょっちゅう遅刻したり、品物を届ける行き帰りに心ない友人らに揶揄されて恥ずかしい思いをしたと言っていました。もちろん欲しいものも買えなかったそうです。

今でも母が住んでいた南千住駅の南側、清川町周辺は豊かとは言えない住民が数多く住んでいます。

それでも母や叔母たちは、祖母を少しでも楽にしてあげたいと思い、不平不満に思わず一心不乱に働いたそうです。20歳頃からはやっと、少し余裕が出てきたとのことでした。

なので、かなり裕福で大きな会社に勤めている父と結婚したら、専業主婦を楽しむのだろうと思いきや、母は私が生まれる直前まで祖母の手伝いをして、私が小学校に入学した前後にダスキンに正社員として入社しました。以後、ダスキンで9年、ヤマト運輸で14年ほど勤務していました。

私が小学校に入学したのは昭和51年だったかと思いますが、その当時、普通のサラリーマン家庭で共稼ぎというのは少なくとも近所にはいませんでした。せいぜいパートといった感じでしょうか。学校には学童がなかったので、私は小学校2年生ぐらいまでは隣の家(多分うちで貸していた貸家の若い夫婦)に時々預けられたりしていました。若い夫婦はまだ子供がいなかったので、非常に喜んでいた記憶があります。

高校になった頃に、戦災孤児を預かったことについて母に尋ねたことがあります。夫を戦争で失い、食べていくのも必死だったころによく赤の他人を預かったものだと。

母は祖母を非常に尊敬しており、非常に厳しいながら常に慈悲を忘れない人だったということでした。もちろん当時の自分に理解できるはずもなく、単に愛情の深い人なんだなという程度でしたが・・・。

父の家庭はかなり裕福でしたが、やはり戦後、焼け出された人たちのために広い庭の一角に家を数軒建てて、空襲で家を焼かれた人のために提供したと言うことでした。

社会保障もままならない時代に女手一人で5人の子供を養う苦労は私には想像に絶しますが、そういう環境で育てられた母もまた勤労を厭わぬ人でした。

母はいつも勤労の意義についてよく語っていました。

特に私が高校になった頃、アルバイトなるものをして、初めて自分で金銭を得た時に嬉しくなって両親に報告すると、改めて労働の尊さを語ってくれたものでした。

尊い金銭を得る過程で尊い経験を得られる。

本人は学費がなかったので高校には行けなかったが、社会では学費を頂きながら勉強ができるようなものだと。

父の収入でも十分に暮らしていけたが、よりよい暮らし、それは特に金銭では計れない部分を豊かにするには働くことはとても素晴らしいことだと言っていました。

頭も心もいささか心許ない自分には今頃になって分かってきた気分ですが、とりあえず一生涯分からないよりはマシなのかとも思います。

ちなみに母は食事や掃除洗濯といった家事全般はほぼ完璧にこなしていましたし、その上に私が中学校を出た頃から社交ダンスを習い始めて1級インストラクターにまでなりました。また、他界する4.5年前からは英語も習い始めていました。そう考えると、母は真に勤労の意義を理解していたのだと思います。

そういう意味で、専業主婦の家庭で普通に育った人とは多少、価値観が違うのかも知れません。

近年では若者の職離れが甚だ多いとありますが、大人が勤労の意義をもう少し魅せてあげるものではなかろうかと思います。労働は苦しいかも知れませんが、それはもしかしたらコーヒーとかお茶の苦みかも知れません。それに勝る何かもあるということが分かったら、多少何かが変るのかなと思います。

また、夫の収入だけではいかんともしがたい社会情勢が続いています。我が家も正直言うと私の収入だけではちょっと心許ないものがあります。故に働いている妻には非常に感謝していますが、できたら勤労の意義についても、今ひとつ、いささか深く広く長く考えてもらえればと思います(笑)。

平成二十四年卯月二日

不動庵 碧洲齋