不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

「武芸者としてどうあるべきか」・・・なんて・・・

いつだったか、外国から身体障害を持った門下生がやってきたことがあります。病名を失念してしまいましたが、どんどん筋肉が衰えてしまう例の病気です。

脚は全く動かず、手も肩の振りを使ってやっと動かせる程度。

生きていくのがやっとと言った感じなのに、本人はキリッと胴着を着て柔道場の一角に座って見ています。また、看取った技を座技として応用していたりしました。

実はその方が来たばかりの頃は、今にも死にそうな青ざめた表情で、ほとんど身動きすらできない状態でした。若かった私は「オイオイ、稽古や渡航どころの話しじゃなかろうに」と思ったものでした。

しかし師はこれ以上ないぐらいに親切に対応し、彼にもできるような技を見せたり、相手をしたりしました。また、何かで調べたのでしょう。風船を持って来ては本人にふくらませたりして、肺を鍛えさせたりしていました。

結果、数年後には上半身なら元気に振り回せるようになり、顔色も非常に良くなってきたので、驚いたものです。

手前味噌ですみませんが、本当に我が師は仁者だなぁ、とつくづく感心したものでした。これほどの仁者はなかなかいないと、密かに思っています。(とブログに書いている時点で密かではないですが・笑)

技のうまい先生は他にもいます。流ちょうにスゴいことをしゃべる先生もいます。

逆にエエ歳して高い段位なのにロクな挨拶もできないヤツもいますし、権威を死守するのに必死だったり、くだらないことに精力や情熱を傾けているのもいます。親切なのか余計なお世話なのか、そういうことを教えてくれる友人知人もいて、昔は私もそういう連中にいちいち腹が立ちましたが、今はそういうのは少しクサい空気ぐらいにしか思わなくなりました。(クサい空気はまだ、わだかまりを持っている自分自身の臭いと言うことでしょうか)

今見ているのは自分、正確には自分の有り様とか。そして私を指南してくれている、素晴らしき師たち、友人たち。私の寿命もすでに半分に達しているので、情けないことにそういうくだらないことに目を向けている余裕がないのかも知れません。

昨日も重い障害を持った門下生が来ていました。

彼は電動式の車いすに乗り、レバーでかろうじて移動できるような状態です。両手だけは多少ながら自由が利くようです。彼も一緒に来た友人に助けられながら胴着を着て帯も締めていました。

そして僅かに動く両手を使って友人を相手に車いすに乗ったまま稽古をするんですね。

そして師も彼にもできる稽古、稽古方法を説明したり、かかり切りになったりします。

どうでしょう、彼らのこの燃えるような不屈の闘志は。

私はいつも、「武芸者としてどうあるべきか」ということを柄にもなくよく考えています。実は武芸をかじっている割にあまりそういう難しい問題を考えるのは好きではないのですが。

技がどうのキャリアがどうの、ではありません。「やる」のか「やらない」のか、という究極の選択です。彼らにとっては「やれる」と「やれない」すら問題ではなさそうです。うまい下手、勝ち負けなど、彼らにしてみたら実は「笑っちゃう」レベルの問題かも知れません。

特にステレオタイプで「忍び」のイメージは何があっても、生き延びることが使命、なんて言われていますが、彼らは多分、そういうところに惹かれたのかもしれません。私は個人的に「忍者」とかいう、ご大層な名乗りを使うのが非常に大嫌いなのですが、こういう人に役立つ哲学があるなら、まあそれも悪くないのかなと思います。

翻って我が身で考えた時、指一本失っただけでも多分、「三合の病に一升五合のもの思ひあるべし。」の如く、天地がひっくり返ったかのような大騒ぎをするかも知れません。片手片足を失ったら自殺すら考えてしまうでしょうか。

指です、脚です、腕です。例えばそれだけがなくなっただけなのです。ただそれだけが現世から失われてしまったという事実に、自分自身が無視しようと渾身の力を込めようと、何も変りはしません。そういうことはしている本人を含めて実は分かりきったことです。

私の場合、禅や武芸を通じて、分かりきったことを分かりきったまま、そのままそのままであり尽し、あり潰せるように精進して参りたいと思います。

平成二十四年卯月二十三日 不動庵 碧洲齋