昨日は今年最後の墓参りに行きました。
うちの墓所は自宅から車で5分足らずのところにあります。
妻が通っている茶道教室が川口の真言宗の寺なのですが、そこの末寺に当ります。
晴天だったのですが妻の体調が優れず、私と息子だけで行きました。
車を駐車場に止めて雲一つない空の下、墓のあるところまで歩きました。
突然息子が話しました。
「この世の中ってみんな仏なんだよね」
「うん、そうだな、仏じゃないものはないらしいな」
「仏はどうして俺になったのかな」
「この世で修行をするためかな」
「どうして修行をするんだろ」
「あの世は休むところだから」
「そうか、休んでいるところで修行されたら他の人が迷惑だよな」
「そうだな」
「修行をすると何が分かるようになるのかな」
「結局自分は仏だったってことかな」
「自分たちは仏なのに、それを分かろうとするって難しいんだね」
「そうだな。もしかしたらそれを分かろうとする途中も重要なんじゃないかな」
息子は何かを思ったようです。
息子は好きこのんで墓場の掃除をします。
特に花を生ける筒などは必ず自分で洗い、水汲みも自分で行います。
息子なりに思うところがあるのでしょう。
自宅から持って来た線香に火を付け、年末なので一通りのお経を読みました。
霊園を出ると、隣のお寺に行きました。
寺には十三仏石像や六地蔵などが、比較的きれいに残されています。
個人的にはわりと好きな仏像です。
「俺ってさぁ、宇宙そのものなんだよね」
「エッ?」
「だって大日如来って宇宙なんでしょ」
「そうだな」(ビックリしました)
「俺は未年だから、大日如来だよね」
「そうか・・・」
「パパの仏は何だ?」
「パパは酉年の不動明王だ」
「ふうん、だから不動庵なのか。大日如来とお不動様はどっちが強い?」
「大日如来の別の姿がお不動様だ。独りでケンカは出来ないな」
「へえ、そうなんだ。そうだね」
「仏様の言うことを聞かない悪い人を懲らしめる時にお不動様になるんだ」
「大日如来はそういうことはしないの?」
「そうだな・・・総理大臣が犯人を捕まえないのと同じだな。犯人を捕まえるのは警察官だ。だからこの仏様の中で唯一、武器を持っているのがお不動様なのさ。だから武道の仏様でもあるんだ」
「なるほど。でもお不動様の方がいいなぁ」
「お不動様は大日如来の別の姿だから同じだよ」
「お不動様と大日如来はどっちが偉いんだ?」
「そうか、大日如来の方が偉いんだね」
「まあ、そうだな(笑)」
「家の仏壇の仏様も真ん中が大日如来でお不動様はその横だよね」
「うん」
大日如来についてよく知っていたのには驚かされました。
前に話したのかもしれませんが。
悔しい話しですが息子の方が仏について、体感的によく分かっているような気がします。
大人は坐禅でもしなければそれに近づくことができません。
子供は仏そのものです。
自分が仏だという認識が子供の教育にどのように働くのかまだ分かりませんが、私はきっとよい方向に向かっているのではないかと思う次第です。
SD111212 不動庵 碧洲齋