不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

武士のマネ・両班のマネ(2)

両班というのは朝鮮半島における身分の一つです。

両班の意味は文官と武官の両方という意味で、文班、武班を合せて両班でした。

李氏朝鮮が建国された当初は適正比率の3%ぐらいだったそうですが、恐るべき事に日本に合併される直前にはなんと半数近くが自称他称両班だったそうです。

現代の韓国では、祖先が両班でないという人は珍しいぐらいだそうです。

留学したときに両班について韓国人に聞いてみましたが、別段尊敬するような類のものではなかったとか。

ちなみにこの両班、恐るべき事に仕事、特に肉体労働などは全くしません。

数年前、私は幕末維新ごろに日本を訪れた外国人の手記を読むのが好きで、イザベラ・バード女史が書いた「朝鮮紀行」も読みました。

その記述だったかどうか定かではないのですが、とても印象に残った緒逸話として、ある家族が非常に貧しているにもかかわらず、そこの主は両班だとかで全く働かず、妻が近所や親戚からなにがしの食料や金銭を借りていたそうです。

ちなみに侍は幕末になると扶持米だけでは暮らしが立たないので、内職などした家が多かったようです。

先ほども申し上げたように、総人口のうち、非生産人口が2割を超えると国が破綻すると言いました。

当時の朝鮮では末期では半数近くの両班がいました。

つまり国家としてはほとんど破綻していたのです。

今の韓国人がどのような理想像を求めているのか分かりませんし興味もありませんが、少なくとも両班ではなさそうです。それはそれで賢い選択だと思います。

両班でない人民の塗炭の苦しみたるや、想像を絶します。

ちなみに当然ながら生活できなくなり奴隷階級になったりしたものも多くいました。

半数近くが両班で、残りのうち奴隷と一般市民が占めていました。どうでしょうか?

これは多分、普通ではないと思います。

韓国国民がどれだけその事実を知らされているのか?私は疑わざるを得ません。

チャングムの誓い」のような民衆の描写が事実と捉えているのであれば、韓国国民の歴史に関する無知に恐ろしく思います。

ちなみに今手元に電子辞書があります。

先ほども書いたように、英和・和英・英英など、大小取り混ぜて7種類の辞書が入っています。

両班は英語表記だとYangbanですが、どれにも記載はありませんし、ネット辞書にも記載はありません。

その程度のもののようです。

朝鮮では何を心の拠り所にしているのでしょうか?

儒教?そんなものではなさそうです。

私も中国史はとても好きで、論語はもちろんのこと、孟子荀子、各派生思想も読みましたが、朝鮮民族のそれはどれにも当てはまらないように思います。(むろん本家本元の中国もですが)

彼らが生活習慣基準を儒教に置いているなら、思想もそのようであって欲しいと思いますし、そうでないことに深い悲しみを覚えます。

「恨(ハン)」どうもこれが彼らを突き動かしている源のようです。

バカらしくて深く調べる気も湧いてきませんが、文明文化科学などは永遠に繁栄し続けたりしないものだとちゃんと理解している日本人と比べ、抜かれたら恨まずにはいられない彼らの精神性には、正直近寄りたくないのが本音です。

ちなみにそういうものの考え方がどうしてもなじめず、海外に出て行った人もいます。

韓国人の中には、「恨(ハン)」の精神がどうしても嫌で外国に移住し、心穏やかに仲良く日本人と付き合っている人も大勢います。

豪州にいたある韓国の知り合いは、日本人がアメリカ人と仲良くしているのを見ていると、何でもかんでも反日というものの考え方が馬鹿馬鹿しくなってくると言っていました。(それで韓国社会になじめなかったようです)

心の方の門戸を広く世界に開く時は必ず訪れると思いますが、もう少し先になるような気がします。

SD110802 碧洲齋