不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

道徳の教科について

【うちの犬の経過】

昨夜は2時頃に起きて一度、愛犬の状態を確認、意外に元気な様子。

今朝も5時に起床後、確認すると、場所を少し変えて寝ていて、少し食べた形跡があるので、やや持ち直したのだと思います。

多分、天候が涼しくなったからでしょう。

取りあえずほっとしています。

最近の教育についてふと思ったこと。

最近、なにげに息子の道徳の教科書を読みました。

どうしても違和感を覚えます。

大辞泉によると

道徳:人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。

とあります。

しかし息子の道徳の教科書を読むと、ヨイコチャンのケースディ、仲良しのケーススタディが大半です。

35章あって昔話系は3つだけ。

もちろん命に関する記述もありますが、どうしても無機質な気がします。

仏教でも神道でも基督教でも何でも良いのですが、命のやりとりがこんなに無機質に記述されるなら、何らかの宗教の考えを借りて教えても良さそうな気がします。

しかもそんな薄まりすぎてまずそうなコンソメスープのような教科書を週に1回だけというのは、何のための授業なのかさっぱり分かりかねます。

手前味噌ですみませんが、命について、神について、戦争について等、私は息子とがっぷり四つになっていつも話しています。

もしかしたら早すぎるのかも知れませんが、少なくとも戦前ぐらいまではそういうことは当たり前に教えていたのだと思います。

多分、息子からしてみたら、この道徳の教科書は結構つまらないかも知れません。

最近思うのですが、教育は年齢相応に教えていくものと、難題を最初に与えて考えさせ、それを心の中のトゲのように突き刺さったまま成長し、やがてそれを自ら抜くことができる、という2種類あるべきだと思っています。

年齢相応というのは理系の科目に多いような気がしますが、分かりません。

道徳に限っては絶対に後者だと思います。

善悪など何を以てそう言うのか。

今、アメリカ人を1人殺したらかなり重罪ですが、たった70年前までは多分勲章ものでした。

戦争はイケナイ、では悪意を持って日本に攻めてきた国があったとき、戦闘が始まったらそれは戦争になる。

それもいけないことなのか?

だいたい善悪系の話を読むに、悪いことをしても後で改心すれば許してOK、というパターンですが、それなら人を100人殺しても改心したら許すのでしょうか?

道徳というのはそういう薄っぺらなものではないと思うのです。

もちろん8歳の子供に教えるには色々とアレンジせねばならないと思いますが、道徳の時間なれば1時間で解決するようなチャチな命題など与えてはいけない、そう思います。

そもそも私は小学校低学年には道徳というのは座学ではなく、実践でやらせてみたらよいと思います。

色々指導やら制約やらあると思いますが、学校周辺のゴミ、公共交通機関でのマナー、一歩下がって映画など、身体に叩き込むのです。

脳みそにあれこれ注文を付けるのはもっと大きくなってからで良いでしょう。

道徳はみんなと仲良くする方法ではなく、何故仲良くするのか、そこだと思うのです。

今の道徳の教科書に決定的に欠けているのはここです。

そういう意味で今の道徳はどうにもミクロ的な視点に立っているような気がしてなりません。

小さな子供だからこそ、宇宙大のマクロ的視点があることを教えてあげるべきではないでしょうか。

と、そんなことを思った次第です。

SD110721 碧洲齋