不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

私はここで、坐りました (壱)

不動寺の中心的な建物、不動堂

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私を構成している重要な要素のひとつが「禅」です。

一応、私も長いこと武芸らしきことを細々とやっている関係で、前から禅には興味を持ち、本を買って坐ってみたりもしました。

とはいえ、元々かなりの無宗教主義でしたし、口も悪かったので、友人らには

「神の言うことを聞かない人間を作り出せたら信じてもいい。作れなかったら全能じゃないし、言うことを聞かせられなかったらやっぱり全能ではない」

などとうそぶいたりしていました。今となっては畏れ多いことです(笑)。

個人的に自分が禅をはじめた日というのは決まっています。

それは2002年5月19日日曜日です。

その前の週の日曜日の朝、何気なくテレビをつけるとNHK「小さな旅」が放送されていました。

その日のタイトルは「石の里で ~群馬 南牧村~」。

聞いたこともないような村の名前でしたが、その景色に釘付けになりました。

特に紹介されている寺には荘厳さと、うまく言い表せないような懐かしを感じました。

もちろんこの時まで私は葬式とまれな観光以外には寺には行きませんでしたし、興味もありませんでした。

翌週早速、場所を調べて車で尋ねました。

関越自動車道から上信越自動車道へ、そして下仁田というICで降りました。

そこが寺の最寄りの出口でした。

下仁田町の中心街を通り抜けるとすぐに南牧川があり、その川沿いにできている道路に沿って走らせました。

下仁田町も小さな町ですが、南牧村に入るとかなり過疎の村だという印象を受けました。

南牧村にはほとんど、平坦な場所がないので、斜面を段々畑にしているところが大半のようでした。

南牧川を渡り、幾つかの集落を抜けていくうちに、元々細かった道路がもっと細くなり、しかも曲がりくねって傾斜がかなりきつい。

そのうち車がやっと1台通れるぐらいになると、さすがに「道間違えたんじゃないか」とすら思いましたが、ちゃんと看板もありましたし、道はこれしかなさそうだったので、行くしかありません。

当時の私の車は軽の四駆でターボでしたが、いかんせんマニュアルだったので、少々怖かったことを覚えています。

傾斜がかなりきつくなってきたところで忽然と小さな駐車場が見えました。

当然のことながら他に誰も停めていません。

そこに車を停め、徒歩で上がりました。

すごい傾斜です。つづら折りになっている最初のカーブを曲がって前を見上げると、目の前に大岩壁がそそり立ち、何とその上には隅が少しはみ出た状態で鐘楼が建っています。

更に上ると見えてきました。まさに「天空の寺」です。

境内に辿り着くと寺の立地に驚き。

寺の後背は断崖絶壁で前面はやはり切り立ったところにあります。

そこらでケンシロウたちが修行していても全然違和感がありません(笑)。

東西南が全て崖になっている鐘楼

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境内の入り口は車が4.5台停められる程度ですが、下からも見えたように左右が切り立った岩壁の尾根に鐘楼があり、奥に庫裏(住職の家)、手前に宿坊があり、宿坊は丁度、本堂への入り口をふさいだ格好で建っています。

そして宿坊の前を通って参道になっていました。

入り口に掲げられている看板には

黄檗宗 不動寺

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の文字。当時「黄檗宗」という漢字は読めませんでしたし、禅宗の寺であることも知りませんでした。

不動寺については何度か書いてきたので概略に留めます。

不動寺禅宗、しかも中国色が非常に強い黄檗宗であるにも関わらず、境内の雰囲気は神社か密教系の寺院のようです。

実際、秘仏とされている仏像は禅宗系の大仏如来ではなく不動明王像です。

普通禅寺では行われない護摩祈祷もします。

不動寺黄檗宗に改宗する前は密教系の寺院でした。

場所が場所なので墓地がありません。

この寺は霊園経営などで成り立っている寺ではないのです。

また、ここでは葬儀などの忌事はほとんど執り行われません。

住職は縁のある方からの依頼を受けたときにだけ、下界に下りていって(この寺に限っては、この言い方が一番しっくりします)、読経などをします。

不動寺で行われるほとんどの宗教儀式は護摩祈祷などの儀式です。

それ故に普通の寺とはかなり違った雰囲気を持ちます。

妻が妊娠したとき、不動寺で安産祈願をしてもらいました。

そして生まれた息子の誕生日は住職と同じです。

そのせいか、息子はなかなか仏に対して敬虔です。

息子が生まれたときに道場を開くことを決意し、道場看板を揮毫して頂きました。

また数年前に道場名を不動庵に改号しましたが、それもここから頂きました。

今、家の仏壇に安置されているお不動様もここで開眼供養を受けました。

私の生まれ年は酉年なので、まさに不動明王の年です。

現在の住職は長岡良圓住職。

私が自分の意志で初めて会った僧侶と言うことができます。

第67代目だそうです。

私が尊敬する僧侶のうちの1人です。

口癖は「これも何かの仏縁だから」。

まさに名前の通り、良縁を旨としています。非常にざっくばらんな人柄で、参拝客はもちろんのこと、登山に来た観光客にもよく話しかけてくれます。

村人たちからの信頼も篤いです。

そういう意味ではいわゆる町寺の普通の僧侶とは全く違う方なので、非常にためになります。

私はいつも、良圓住職の穏やかな顔つきしか見てませんが、一度だけ、非常に厳しい顔つきをしているのを見ました。

私の父が他界した折、白木の位牌を片手に、ふらっと放心状態で不動寺に来て、供養をお願いしました。

住職はすぐに法衣に着替えて亡父の位牌を祭壇に置き、読経してくれました。

その時の厳しい表情が今でも忘れられません。

そして私が知る不動寺での唯一の忌事です。

このときばかりは供養して頂いている住職の背中に向かって拝み、涙が出てきました。

その時は不動明王のご霊験は慶事も忌事も関係なく、等しくあるものだと感じたものです。

良圓住職を深く尊敬するところは日々の生活即禅行を実践しているところ。

かなり山奥のしかも大きな寺です。

毎日が自然との闘いです。

大工仕事、薪割り、畑仕事(不動寺では普茶料理を出してくれるので)など、多分、江戸時代の禅僧といくらも違わない程度の作務をこなしています。

私の父と大体同じ年齢ですが、私ですら引いてしまうような重い荷物も軽々と持ちます。

先日もおっしゃっていました。

「どんなに屁理屈を並べても、大自然の中では全く意味がない。日々の仕事をひとつひとつこなしていくことがすなわち禅の修行になります」

重い言葉です。

私は参拝のたびに少しでも住職の労が軽くなればと思い、作務をすることが多いのですが、これを毎日無心に実践できたら、本当に悟りでも啓けそうです。

私は良圓住職の他臨済宗の二人の老師に師事しています。

3人ともとんでもなくキツい修行をしている方ばかりです。

だから葬儀などで適当に読経している僧侶を見かけるとすぐに分かります。

そのぐらい、ただの葬式坊主と本物の禅僧の違いというのは明白なのです。

山門

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不動寺に2.3回目に訪れたとき、良圓住職は私に座禅の仕方を教えてくれました。

指導の仕方は細部にはこだわらないのですが、場所が場所です。

町中と比べるとはるかに深く禅定に入ることができます。

多分、それ故に細かいことは言わないのだと思います。

座禅は不動堂でできます。

季節にもよりますが、朝から夕方まで、ほとんど人が来ないこともあります。

ほとんど邪魔されずに作務と座禅と武芸の稽古三昧になったときは至福のひとときです。

不動寺は境内の他に距離は短いのですが、非常に険しい岩山もあります。

禅や武芸の修行、季節ごとの行楽、黄檗宗の精進料理、普茶料理を楽しみたい方にはお勧めの場所です。

私自身、志ある武友や海外の友人らを良く連れて行きます。

先日もロシアの武友と行き、護摩祈祷をしてもらい、稽古をしたばかりです。

私は未だかつて不動寺を越える寺を知りません。

不動寺が末永く続くよう、禅を修行する一信者としてできる限り支えていきたいと思います。

SD110608 碧洲齋