不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

私はここで、坐りました (弐)

不動寺の修行の他、私は二つの寺の座禅会に参加しています。

色々理由があって、どの寺とははっきりとは申し上げられません。

ひとつは坐れる場所が限られていると言うこと。

私が師と仰いでいる老師が指南している寺は多分、都内でも有数の小さな寺です。

本人は都内で一番貧乏な寺だと言っていました。

しかしながら本人の人徳か、写経会や座禅会などにやってくる人の数は多く、いつもいっぱいいっぱいになってしまいます。

本人が望めば、何人かの禅僧を従えた大きな寺に住むこともできたはずです。

しかし師は檀家のない、非常に小さな寺に住んで、仏教の布教と厳しい修行を続けています。

それ故に、指南を仰ぐ価値があるというものです。

寺にある石灯籠。元々地中に埋まっていたものだとか。

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もう一つの寺は準本山クラスの大きな寺で、臨済宗にしては珍しく座禅堂があり、座禅会はなかなか本式です。

しかしながら座れる人数には限りがあります。

暖かくなると時々やってきて、寒くなると来なくなる、こういう方が結構いらっしゃいます。

禅は来るものを拒まず、去る者を追わず、と言われてはいますが、修行は本来、イベントではありません。

日々の行いです。だからこちらの寺の方針は継続して続けられる方に来て頂きたい、という考えなのだと思います。

ちなみに都内にはもっと行きやすい座禅会はいくつもあります。

また、修行の場所、機会は自分で調べると言うこと。

インターネットで簡単に検索して無駄な労力を押さえるのも結構ですが、努力しないで探したものは所詮その程度です。

私の道場に最古参の門下生がいます。

当時、私はHPは持っていましたが、現在のように「武道」「武芸」「忍法」「武神館」その他宗家の名前などでは検索できないようにしていました。

相当あまのじゃくで、よほど凝った検索ワードを幾度もかけないと分からないようになっていました。

一番弟子は色々調べ尽くしたのだと、当時は感心したものでした。

できたら自分の修行場所、機会ぐらいは、徹底的に調べ尽くして、実際に何カ所も足を運んでみるべきだと思います。

その程度の努力は惜しまずにしてほしいものです。

ドラマのような出会いや偶然も確かにありますが、それを期待していたらきっと、人生を無駄に過ごしてしまうこと間違いありません。

まあ、これは恋愛などにも言えることです。

最初の寺に関してはHPがあり、割に見つけやすいと思います。

ご縁があれば行こうと思う方もいることでしょう。

月に2回の日曜夕方の座禅会、1回の平日夜の座禅会、2回の仏教講座(1回は教典、1回は仏教学)を開いており、かなり本格的です。

そして座禅は丁寧に教えてくれます。

初心者にはお勧めできると思います。

二つ目の寺は、HPはありませんし、本山のHPにも掲載がありません。

どちらかというと熟練者?向けと言えるかも知れません。

ある程度、作法を知っている人が行くには良いかもしれません。

真冬などは暖房などありませんから、かなり冷えます。

私は不惑を越えましたが、それでも常連では最年少で、私の父といくらも変わらない年齢の方がほとんどです。

老師もやっと最近になって私の努力を認めてくれるようになったのでしょうか、私の名を呼んでいただけるようになりました。

近所の方々はよく知っている方は多いようですが、早朝と言うこともあって、頻繁に初心者が来ることはありません。

毎週第1、第2日曜日の朝6時から8時頃まで、座禅2柱と提唱・茶礼をしています。

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この二つの寺院は毎月、定期的に通っている座禅会ですが、やはり用事がない限りは習い事と思って継続していくことが肝要かと思います。

最初は幾つかの座禅会に参加してみて、自分に一番合った座禅会を見つけることは重要ですが、何となくというのではいくつ見て回っても多分見つからないかも知れません。

私は曹洞宗系の寺院で座禅をしたことがないので、機会があればしてみたいと思います。

これから禅をやってみたいという方、この辺りをよくよく吟味して、自分に合った座禅会、師を見つけて下さい。

以上の三寺が、私の修行の場でした。

SD110609 碧洲齋