美空ひばりの歌のことではありませんが、徒然私が想ったことです。
中国では王朝が交代する度に色々な決まり事がありました。
たとえば交代した王朝が頃合いを見て前王朝の歴史を編纂するなど。
すぐにやらないのは客観性が損なわれるからだとか。
その辺り、記録好きな民族の特色が出ています。
現在の中華人民共和国では当然のことながら清王朝史が国家プロジェクトとして編纂されています。
中国史上、最もデータ量の多い王朝史になる予定です。
編纂している現王朝、もとい現政権が中国共産党ですからちょっと(かなり?)眉唾ですが、それはそれとして出来上がりが楽しみです。
古代中国では記録係は一種の尊敬された役職でした。今はどうか分かりません。
王や皇帝の左右には記録係が控えており、一人は皇帝が言ったことを、一人は皇帝が行ったことを漏らさず記録したそうです。王様や皇帝はさぞや肩身が狭かったに違いありません。
ある王様がたまたま機嫌が悪いときに諫言した家臣を死刑にしてしまいました。
記録係はそれを書き留めました。
腹が立った王様はそいつを殺しました。
そうするとその弟が上京して、やはりそれを書き留めました。
もっと腹が立った王様は記録係の弟も殺しました。
更にその下の弟が上京して、やはり王様のことを書き留めました。
さすがに王様でもその気迫に押されて諦めたとのことです。
中国人の特色としては色々誇張して書くと言われていますが、「魏志倭人伝」があるから卑弥呼の時代の日本が分かろうというものです。歴史的にはやはり文字を以て記録することは人間だけの強みと言っていいでしょう。
前の王朝を否定しないと今の王朝の存在意義が疑われてしまいます。偉業を称えつつも悪政に関しては容赦ない非難をします。中にはかなり屁理屈を並べたり、牽強付会したりします。
暴君の代名詞で使われる商(殷)王朝の紂王というのがいますが、近年の考古学の研究では彼の時代はなかなか繁栄していた時代だったそうです。土器を調べても優れたものが多く、田畑の遺跡を調べても凶作とか不作という証拠がほとんどないそうです。そこで実は英明な紂王が西方に遠征に行っている間に周に乗っ取られたという説の方が説得力が出てきたと言うことです。
いやいや、白も黒になる歴史の恐ろしさです。
世界で最も古いロイヤルファミリーは言うまでもなく我が国の皇室です。
今上陛下は第125代ということになっています。
最初の数代が本当に在位したのかどうか、今となっては分かりませんが、それを差し引いても多分世界最古のロイヤルファミリーでしょう。
日本の場合、色々な変遷がありましたが、恐るべき事に伝説神話の時代から王朝は変わっていません。だから今上陛下が125代なのです。
私は皇室が連綿と継続してこられたのは包容力があるためだと思っています。
中国では数え方にもよりますが、20-30の王朝が興亡しました。そして王朝ができる度に前の王朝を散々否定します。
それで私は中国ウン千年の歴史と聞く度にこの事実を思い返します。民族が歩んできた道を否定しようと肯定しようと通ってきた道です。王朝史のように否定して、現王朝の意義以上に何が残るのか、いつも考えさせられるのです。
漢民族を中心とした中華の民たちには多分、いい影響を与えていないのではなかったかと思うのです。脈々と続いてきた伝統を切り刻むような気がします。
そう考えると現在の中国人が引き起こしている道徳的な問題も分かるように思います。
国や歴史スケールで話しましたが、個人としてスケールダウンしても同じ事が言えると思います。
職や会社を変えても輝いている人とそうでない人がいます。
殊仕事に関しては私もあまり大きな事は言えませんが、最初の頃はIT関連とは言え、その頃から海外関係にも携わってきたので連綿とはしていますが、成り行きとも思えますので大言荘厳は控えます(笑)。
芸事でも同じでしょうか。芸事などはある意味伝統的な精神の体現化ですから特に色々な意味で連綿としていなければならないと思います。
個人的にはいちいち古代中国王朝のように前歴を否定していたら、今の中国人みたいになるのかと心配してしまいます(笑)。その前に精神分裂でも起こしそうになります。
それはそれ、あるがままに。是も非も己の内にも外にもなし、それがそのまま己そのもの。ましてや己も錯覚の産物。自我は仏に刺さった棘程度のもの。師はいつもそう語っています。
ふとそんなことを思ったのでした。
SD101013 碧洲齋