不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

いのちのこと (ご大層なタイトルになってしまいました・・・)

最近、動物保護とかなんとか言っている人がいます。正直、そのように声高に叫ぶのは好きではありません。私は単純に人類が生きていくに当たって、必要最小限の命を自然界から感謝を込めて頂き、その善悪を問わないという日本人古来の姿勢を良しとしています。どうも欧米人たちはスターウォーズさながらにシロクロはっきりした善悪のレッテルを貼らないと気が済まないようですが、現実世界ではそんなことはまず不可能です。そしてその必要最小限の量が自然のバランスを崩しているのか否かという洞察が人間の叡智の限界だと思っています。

正直、動物保護とか自然界のバランスとか言うなら、人類が地球上から去れば、地球はどれだけ平和なことでしょう。多分、この世のほぼ全ての問題が完全なまでにクリアーできると断言できます。異色な種族、人類がいての地球だと思います。実際、そうはいかないので、人類は色々な理不尽な問題と格闘しているわけです。サーカスのボールの上に人類を乗せて、更にその上に地球を乗せたのはそれこそ神様の余興、ジョークです。しかし乗せられた人間はまじめに取り組むしかありません。

豪州で小学生を泣かせたことがあります。

やはり捕鯨についてでした。

日本語を教えていた小学校で捕鯨反対が出たときに私は言いました。

「生き物をただ食べるためだけに増やして最後には確実に殺すシステムがあるけど、知っているかな?」

「分かりません」

「牧場。日本では開国後、欧米人に教えられた便利なシステムだ。それ以前はなかった」

「・・・」

「で、捕鯨の何だっけ?」

数人の子供は初めてその事実に気付き、ショックで泣いてしまいました。

学校の先生もさすがに黙り、二度と私の前で捕鯨について語らなくなりました。

内心ざまあみろと思わなくもありませんでしたが、人間のかざす正義なんてしょせんそんなものです。

日本では生き物に限らず、植物や人形、針、茶筅の類に至るまで神社などで懇ろに供養されます。良いとか悪いではなく、人間が生きていくために、他を犠牲にしていると言うことを念頭に置いています。都合がいいときだけ人間主義ではないのです。その辺り、西洋人に厳しく言っておきたいと思います。もちろん、本当の本当に全部の鯨が絶滅の危機に瀕しているのであれば日本人はスパッと捕鯨を止めるぐらいの行動力はあります。見損なわないで下さい。欧米人は神には感謝しますが、どうも日本人からすると現実世界では?の部分が多く感じます。神に感謝、贖罪すれば何でもOKという思想がある辺りが日本人にとってはちょっと引いてしまうのかも知れません。

人間だけでなく、全ての生き物、特に動物は他の命を奪って生きています。だから良い悪いなどと言うモノサシは全く意味がありません。ただ、残虐さを楽しむためとか、生存する以外の場合とか、必要と思われない場合に命を殺すことはよくありません。そしてそれをするのは人間だけです。食べる以上に殺したり、収穫しているのは人間だけです。他の動物は自分たちがやっと生きていける分だけを自然から頂いているだけです。それに比べたら人間の所行たるや、アニメやハリウッド映画の極悪人を遙かに上回っていますね。

戦争でもそれこそ生存権が奪われる場合などは別として、別段自分の民族に直接関係なくとも頭を突っ込みたがる国もありますし、自己の権力を保持したいが為に殺戮を繰り返している権力者もいます。動物ならあり得ないことですね。(サルなどは多少違うようですが)にもかかわらず牛や豚はよくて鯨はいけないとか、神様が決めたことだから牛は良くて豚はダメだとか、いやいや牛もいけないとか、地球上の人たちはそんなことに振り回されている節があります。その点、欧米人の皆さんは日本人の柔軟さを見習って欲しいところです。良いとか悪いではないんです。ま、過ぎた贅沢は確実に日本人をむしばんではいますけどね。

SD100906 碧洲齋