不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

利休道歌 英訳始め

利休道歌とは、かの千利休が茶道の心得を覚えやすいように作ったものだとされています。

実際には100首ちょうどではないのですが、だいたい100首前後あります。

妻が昨年から裏千家の教室に通い始めた関係で、茶道に接する事が多くなりました。

こう言っては何ですが、うちの妻はものすごい勉強家です。

(みなさん、大丈夫!血の雨とか天変地異は起きませんっ!)

いやいや、勉強家という点では私も完全に正直に脱帽です。

多分それは私に一番足りないものだと言ってしまいます。

私の場合、武芸などはいかに楽をして、簡単に、効率よくできるかにかかっています。

いけませんね。でも正直に苦しいのはあまり好きではないのです。痛いのも嫌いです。

そういう意味では妻はエライと思います。

(だから空を見上げなくてもダイジョウブですって)

で、妻が利休道歌の小冊子を持っていました。以前、何かの折に利休道歌をちょっと目にして「ほうほう」と感心した事があります。そのうちじっくり読んでみようと思ったきりでしばらく忘れていましたが、今回妻から借りて読んでみると、いやいや驚きました。武芸と茶道、禅に通じるものが恐ろしいくらいはっきりと見えるではないですか。だから昔の侍は茶道などもよくやっていたんですかね。

英語でブログを書く場合、大体以下の要領で完成します。

1.日本の文化について、私の視点から外国人にとって興味を持つだろうポイントを抑えます。

2.それを踏まえて草稿を書きます。日本語のブログから書き直す事もあります。

3.時間があれば英訳しやすいように簡潔に書き直します。

4.英訳します。表現で迷ったら2.3の翻訳サイトや翻訳ソフトを使います。ネイティブになじんだ表現よりも、自分のセンスに合った表現を選ぶ事が多いです。

5.細かいところを削除補足します。

以上で完成します。

で、今回、利休道歌を英訳して自分の註を付けようと思い立ったので、その草稿をブログの日本語版として挙げようと思った次第です。いつもと逆ですね。従って、何となく妙な言い回しだったり簡潔な書き方になっているかも知れませんが、その点ご了承ください。紹介する予定の利休道歌は多分18-22首になると思います。一つずつなのか、複数なのかは分かりませんが、とりあえず今回は一つ。

【Original】

その道に

入らんと思ふ

心こそ

我が身ながらの

師匠なりけれ

多分、あなたはいつかどこかで道を知り、歩き始めるかも知れません。

広い道、狭い道

なだらかな道、険しい道

上り道、下り道

賑やかな道、寂しい道

明るい道、暗い道

入口から見えるその道の景色はよくても、道中がどうなっているのか、行ってみないと分かりません。

道にはその道の名を冠した門が建っています。

門には連れてこられる人もいます。

誰かに付いて来た人もいます。

自分でたどり着いた人もいます。

偶然やって来た人もいます。

希望を持って来た人もいます。

絶望の果てに来た人もいます。

疲れ果てて来た人もいます。

どのような理由があるにしろ、門の敷居をまたぐのはあなただけの責任です。

門が豪華絢爛だったから。

門が大きかったから。

デザインが気に入ったから。

他の人に勧められたから。

おもしろそうだったから。

仲のよい友人が先に入ったから。

道の終わりは誰にも分かりませんが、道の始まりはあなたしか決められません。

門をくぐってから運がよければ、先を歩く人たちに出会えるかも知れません。

先生とか先輩とか言われる人たちです。

しかしあなたはそれを期待してはいけません。

あなたの意志であなたの足が敷居をくぐったのです。

あなた自身で学ぶという志を持つべきです。

他人を頼ろうという気持ちは持つべきではありません。

あなたにその志があれば、何事も森羅万象から学ぶ事ができます。

それこそ、あなたに内在する「師」です。

小さい声です。心を澄ませてよく聞き取ってください。

ただし忘れないでください。

他人に教えを求めるには、非常なる幸運と己に備わる誠、礼、廉が必要です。

師を求めるのであればなおさらの事です。

しかしあなたの志が潰えたときは心の師が死んだ日です。

そのような場合は師を以てしても用をなしません。

一旦道を精進することを志したのであれば、誰にも恥じぬ正師を心に持ちたいところです。

SD100802 碧洲齋