不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

天才君に先生はいらない

今、米国から大学生グループが稽古に来ています。

「若いっていうのはいいもんだ。自分の全てを賭ける事ができるからな」

これは「さよなら銀河鉄道999」で老パルチザンがおっしゃった言葉です。

私も爺さんになったらこの老パルチザンや沖田艦長みたいに重みのある台詞を吐いてみたいですね。

みんな20歳とか21歳です。若いなぁ~。

稽古もみんな本当に純真に楽しんでやっているんだよね。

私のように何でやっているのか分からない、抜けるに抜けられない、そもそもいつからやっていたんだっけ?みたいな感じじゃないね。

私も20歳の頃はこんな感じだったかな・・・

と思っていたら、1人だけ、「昔の私はこんなだったかな・・・」と思わせるような門下生が目にとまりました。まあ、言ってみれば「自称 ボクは天才君」タイプ?。見えてるつもり、分かったつもりになっているんだよね。実際、見えていないなんて、夢にも思っていない。別段とても下手というわけではなかったけど、入門2年ちょっとの、私の半分の年齢の門下生からありがたくも色々アドバイスを頂いてしまった。いやいや恐縮至極。

イヤミで言っているわけではなく、ちょっと懐かしいのです。

私が20歳だった頃を思い出すと、それでも彼などはまだ可愛い方でしょうか。20歳の頃はもっと残忍な部分もあった気がしますし、冷酷と思わざるを得ない時もありました。もちろん熱い部分もありましたし、多感なときでもありました。ともかく「自称 ボクは天才君」(いや、ちょっとゆずって秀才君ぐらいではあったでしょうか・・・(笑))だった気がします。

ま、私も未だ意地が悪いので、その天才君には何もアドバイスしません。というか聞かないだろうし、余計に反発するでしょうから。黙っていた方がいいんです。

技もどんな具合だろうとするりと自然に相手の技にかかってあげます。これはこれで大変意地が悪い。本人の資質が悪いと「俺って天才?」となりますし、資質が良ければ「本当にかかっているんだろうか」となります。そしてプライドが抑えられるようになれば自然と尋ねてきます。そこで初めて手ほどきをすればよいのです。

相手が何であろうと私は私の稽古をする。相手が疑いもしないくらいに自然に掛かった振りをする。相手がわざとなのか自分が本当に上手いのか、分からないくらい自然になる。「自称 ボクは天才君」タイプと稽古をするときはこの稽古に尽きます。最近は本当に不安になって、相手から聞いてくる事がほとんどですが、この天才君、最近には珍しく絶対の自信を持っていました。

いいんです、いいんです。とんがっていたらゆっくり時間を掛け、丸く削っていけばいいんです。私もそうでしたから。

さてさて今日も、天才君にお手合わせいただこうか・・・。

SD100805 やや歳を感じてきたか、碧洲齋