不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

お墓のこと

私は史跡巡りが好きな方ですが、その中であまり好きでない場所が「墓地」。つまり歴史に名を残した人たちのお墓です。有名人達のほとんどはお墓に入るまでが有名なのであって、お墓自体が有名ではないからです。ましてや隆盛した人の墓であればなおさら。生前、その人が残した史跡であれば、その人の人柄や考えが分かろうというもの。お墓では分かりません。従ってお釈迦様に始まる「お骨がどうの」というシキタリも好きではありません。せいぜい生前のその人を偲ぶためにお墓があり、リアリティを求める人のために骨を安置しているのではないかとも思います。偲ぶためなら正直、本人に縁のあるものであれば何でもいいと思います。お骨を粗末に扱えというわけでは決してなく、生前のその人を思い出させる大切な品の一つとしてみたらどうかと思った次第です。 以前、金沢にある前田利家墓所に行ったことがあります。近くに曹洞宗の古刹があったから、ついでだったのですが、むなしかったように思います。豊臣秀吉の親友でありながら、徳川時代を通じて加賀百万石を明治時代まで維持できたことにこそ利家の神髄があると私は思います。もし彼があの世から誇りに思うのであれば、自分の領土を徳川の時代が終わるまで全うできたことではないでしょうか。敵の大将筋の大親友がいたら、私だったらどんな汚い手を使っても抹殺しようと奔走してしまいそうです。あの疑い深い家康がそうしなかった前田利家とその血筋たちの人柄とはどんなものだったのか、いつも感服せずにはいられません。そういう思いがあっての墓所ではないでしょうか。 またその昔、私はかのブルース・リーが眠る墓地に行ったことがあります。しかし入口でためらい、結局行きませんでした。長年、私の英語名にもなっているほど彼を尊敬していましたが、彼の墓石を見ることには抵抗を感じました。あれだけ強かった人の墓を見られるのは単なるファンで、本気で彼を目指そうとしている修行者だったらあまり目にしたくない類のものではないでしょうか。 殷王朝では「お墓」という概念がなかったそうです。毎日亡くなった人を思い返したり、偲んだりして、何か悪いことがあると「先祖が怠惰な自分を罰したのだ」とか「何か悪いことの予兆を先祖が知らせてくれたのだ」という具合に思い出したのだとか。だから殷王朝時代の墳墓遺跡はその上が田畑になっていたり、道路になったりしていることが多いのだそうです。後世、王様のお墓の上に道路を造って人が歩くなど、普通どの文化圏であっても畏れ多い事だと思います。 座禅会に行っている寺に、山岡鉄舟が奉納した石灯籠があります。何のことはない、ごく普通の石灯籠ですが、ごく普通の石灯籠というところに彼の思いがあるように思います。禅堂から出入りするときに時々目に留め、鉄舟の人となりを想像します。彼自身、臨済禅に深く関わっていますが、この寺で参禅したときはそれほど有名でもなく、別段何か書を残しているわけではないと老師から聞きました。一般大衆に混じって修行に励む鉄舟にいたく感心しました。彼の墓にも行ったことはありますが、私はこちらの方に趣を感じました。同じ灯籠でも日光東照宮にある、伊達政宗が献上した南蛮鉄製の灯籠とは対照的です。まあそれはそれで伊達政宗の人柄をよく表していて、好感が持てますね。ある意味、伊達政宗が「普通の」石灯籠を献上していたら、ちょっと幻滅したかも知れません(笑)。死後の心配よりも生前の精進に励みたいものです。 写真は山岡鉄舟が奉献した石灯籠一対のひとつ
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SD100204 碧洲齋