不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

碧呟聲 - 忍術との関係 -

長年当流に籍を置いていると、メディアや本で知ったのだろうか、良く聞かれる質問がある。

「ということはあなたは忍者ですか?」

何ともおかしな質問だが、回答もまた難しい。

「いいえ、私は忍者ではありません」「はい、私は忍者です」

この2つしかないはずだが、どちらも正しくどちらも間違っている。

そもそも本物の忍者なれば首肯するはずもなく。

現代の私たちが持つ忍者のイメージというのは実は大方が明治時代以降に創られたものである。

江戸時代は忍者のイメージはもっと地味だったらしい。

明治になり文明開化が叫ばれて、将軍や大名、侍などがなくなり、しばらく後に娯楽の1つで昔話が膨らみ、それらが元になって今の時代劇に出てくる忍者になっていったと考えられる。

明治半ばだとお父さんが子供の時かお爺ちゃんが若かった頃にはまだ将軍様や大名殿様、お侍さまたちはれっきとして存在していたのでそれほど物珍しいものではない。現在の感じで言えば、「インターネットが普及する前の社会はねぇ~」みたいなことを21世紀に生まれてきた子供たちに教えるようなものである。だから一昔前の話ではあってもよく知られていてそれ程面白いものではない。

故にもう一捻り効いた何かが必要という事で、実際にはよく知られていなかった忍者がクローズアップされた(と思う)。

明治時代、これはある意味新ジャンルで、民衆たちからずいぶんと受けた事だろう。真田十勇士などが有名になったも明治時代である。

江戸時代ともなると将軍や大名に仕える、ごくごく一部の者を除いて忍びの専門職はあまりなかった。

そもそも忍術という専門職の内容も戦国時代と江戸時代ではかなり異なる。

例えばとある藩が素行不良として、草民や周辺の藩からクレームが付き、幕府として調査するに当って別段忍者でなくともよく。

該当する藩に隠密を送り込んで田畑の状態、農民たちの暮らしぶり、城下町の様子、町人たちへの聞き込み、道路や水路のインフラの状態などを調べるだけでほぼその藩の全容が分かる。江戸時代では8割が農民だったため、ほとんどそれに尽きる。その上で公式に使者を送ってそこの大名と面会して、その折に城内の様子などを観察すれば本当に改易するべき藩なのか、頑張ってるので今少し猶予を与えるのか、たいてい分かる。別に屋根裏に上がったり、水遁の術を使って堀を渡る必要は全くない。忍者が必要になってくるのは謀反でも起こそうと思っているときであるが、江戸時代後半はどの藩も財政赤字でそんなお金の掛ることはしたくなかった。太平の世で不埒なことを考えた大名はほぼいなかったと考えられる。例えいたとしても戦国の世と較べてそうそう多かったとは思えない。

そもそも江戸時代における本物の忍びというのは恐らく特殊な武器や道具は可能な限り持たないか必要最小限しか持たなかったと考えられる。イメージで言えば「水戸黄門」の風車の弥七だろうか。個人的にはあれが一番江戸期の忍者に近い。彼の武器は風車手裏剣を除けばほとんど匕首だけだ。本来あのようにあるべきだと思っている。変な格好をしたり、奇天烈な武器を持つのは講談の中の話が大半だと推察する。本物の忍者はありきたりのものを柔軟に使いこなすものと心得る。

戦国時代の忍者はもちろん、特殊任務に就いて不正規戦闘、つまりゲリラ戦にも従事したが、江戸時代ではそういう作戦はほぼなかった。幕末に黒船に忍び込んだ記録があるので忍者という専門職と組織は間違いなくあり、ゲリラ戦の知識もあったようだがそれ程実践されたとは思えない。逆に戦国時代の忍者が幕末に現れたらもっと色々な面で活躍して面白い展開だったかもしれない。ひょっとすると戦国時代の忍者にはポルトガル語などをよく理解した忍者がいたかも知れない。戦国時代から江戸初期までは日本はそれなりに国際的だった。

当流の話だが、当流に伝わる9流派の内に幾つかが忍術なので、「忍術を教えている」のではなくて「忍術も教えている」というのが本来正しい。同門を見渡すと忍術を前面に出す者もいれば、あくまで古流を前面に出す者もいる。それは人それぞれということで。ちなみに私は後者である。

当流ではそういう事情もあって、大変変わった武技や武器がたくさん伝わっている。私も一応門下生の端くれとして手裏剣や鎖鎌を初めとする、ちょっとした変わった武器も遣えるが、当流はそれだけではなく、年間を通じて世界中から色々な国や職業の同門が来日することも魅力の1つと言える。これは他の流派ではあまりないかも知れない。「YOUは何しに日本へ?」などでも何度も取り上げられたが、それだけ外国人が多いという事である。

時折不定期で指南はしているが、海外同門たちとの交流はいつも私を飽きさせない貴重な時間である。

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令和二年睦月十日

不動庵 碧洲齋