不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

この高貴なるもの

今朝方、いつものように起きて息子は宿題の残りを、私は本を読みました。

読み始める前に私は息子にこれから読む本のタイトルを見せました。

イスラムの人はなぜ、日本を尊敬するのか』

ところが息子はにべもなく

「そんなことは口に出して言うものじゃないよ、下品だと思う。こういうことはね、言うんじゃなくて黙ってやっていればいいだけなんだよ。」

と言いました。全くその通り。

今回はイスラム系の本で著者の経歴と内容を鑑みて2冊を買ったのですが、確かにこのタイトルはいささか品性に欠けるきらいがあります。

昨今、祖国賞賛系、反日国蔑視系の本が大繁盛の様相です。

基本私はささやかな興味こそ持ちますが、どちらも買いませんし好きではありません。

内容が正しいとか正しくないとかよりも、日本人の品格に関わることだからです。

現実社会では政治的なのか個々の恣意的なのか故意的なのか分かりませんが、日本社会に弊害が出ているのは紛れもない事実です。そしてそれはそれで厳然と対処する必要はあります。

が、それとは違う次元で日本が長い間培ってきた伝統や家風というのか、そういったものは粛々と守り磨いていくものだと思います。そしてそれは殊更高みに掲げて大声で自画自賛すべきものではありません。それは明らかに品がありません。

先日、大変恥ずかしいのですが門下のひとりがこんな事をフェイスブックに挙げていました。

「我々は天皇陛下を中心に陛下が御祈りされている世界平和を実現する事を使命にこの日本に生まれてきました。ここに我々の全てを集中しよう。我々はこの世界を救う救世主なのです。大和魂を集約して参りましょうぞ。」

色々その意図するところを本人に確かめましたが、当流の武風とは相容れないほどにひどい相違があると感じた為に辞めて頂きました。通常は弟子の思想にまで立ち入ることはありませんが、当流の日本きっての国際性を鑑みて、いささか過ぎるものを感じた為です。

この文言も息子に見せましたが、やはりこういうことをぬけぬけと言う手合いも息子に言わせれば「下品」なのだそうです。無論息子は皇室や祖国には深い敬意と愛情を持っています。皇居にも何度も足を運びましたし、日本の歴史や伝統文化も余すところなくよく話しますが、故に我らが国の精華なればこそ言葉などで言い表せるような安いものではないと言うことが、息子には分かっているようです。浅はかで愚かな美辞麗句を喧伝しているような連中は言うほど深く遠く日本を想っていないように感じます。

先日も坐禅会の帰りにこんな事を年長の禅友と語っていたのですが、彼曰く「そういう人は知恵が足りない」そうです。そう思います。学生ならいざ知らず、いい歳した大人だったら完全とはいかずとも、言うべき言葉を識るだけの広く深い知恵を持つような努力を欠かしてはならないと思います。

物知りや小利口な人間は世界中どこの国にもいます。これは先進国、発展途上国に拘わらずです。しかし日本が日本たる所以はそんな連中の数が多いが為ではありません。日本人の精髄はそんな枝葉末端などには決してありません。そんなところになかったからこそ、今に至るまで世界最古の王族を戴いた、世界最古の国であり続けているのだと、私は思います。

学問や知識は先生とは言わず、ネットからでも受けることはできますが、陰徳や品格から起る高貴さは人を介して、しかも言葉に因らぬものであるがため、何代もかかって至るものですが、それ故に日々を慎み行いたいところです。

写真は息子が一言下した本、ただしこの本と著者の名誉にかけて言いますが、内容は大変優れたものです。

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平成二十七年如月十九日

不動庵 碧洲齋